米「ポニーカー」ブーム
T型フォードが起こした自動車の大衆化から、早くも世代が一巡していた米国では、1960年代半ばに、戦後生まれのベビーブーマー(日本で言う団塊の世代)向けに作られたポニーカーのブームが到来。
ポニーはアメリカで乗馬の入門用に親が子に与える小型の馬。ポニーカーとはすなわち、免許取り立ての子供に親が買い与えるクルマという意味合いになる。
ブームの火付け役となったフォード・マスタングのスペックを見ると、全長約4.7メートル、幅1.7メートル、4.7リッターV8エンジン。実用性が高くないわりに無駄にボディーとエンジンが大きく、日本人からすると「どこがポニーやねん!」とツッコミたくもなるが、同時代のキャデラックなどを見た後では「これがアメリカンサイズっちゅうやつか…」と思わないでもない。まぁ、それにしてもデカいです、アメ車。
大気汚染の時代、排ガス規制で日本がリード
1970年代に入ると、先進各国では急速な工業化とモータリゼーションの発達で、深刻な大気汚染を起こす排気公害が取りざたされるようになる。筆者も小学校時代、街の防災放送で光化学スモッグ警報のアナウンスを何度も耳にした(あ、年がバレる…)。
大気汚染対策の一環として、日米欧で排ガス規制が厳格化していく。米国の規制は特に厳しく、輸出産業として日本経済をリードするまでに成長していた日本の自動車メーカーも、これに従わないわけにはいかなかった。そして日本と同様に欧米のメーカーもまた規制クリアに苦戦していた。
そんななか、「実現不可能」とまで言われた米国の排ガス規制であるマスキー法を、CVCCエンジンを新規開発したホンダがシビックでイチ抜け。世界を驚かせる。
1973年と1979年に起こった世界的な石油危機も、日本のメーカーにとって追い風となった。小型のエンジンが主流で燃費が良く、耐久性も向上して故障が少なかった日本のクルマは、価格の安さも相まって評価を上げ、世界中にじわじわと日本車のユーザーを増やしていったのである。
しかし、1980年代に入るとこれが一因となって日米間では貿易摩擦問題に発展。日本のメーカーが海外で現地生産を始めるきっかけにもなっていった。