九州の農業のあり方そのものに、世界の注目が集まっている。福岡県南部の水田を潤してきた「山田堰(せき)・堀川用水・水車群」はアフガニスタンで潅漑(かんがい)のモデルとなり、今月16日に国際かんがい排水委員会(ICID、インド・ニューデリー)から「かんがい施設遺産」に認定された。昨年は世界農業遺産に熊本・阿蘇の草原農業と大分・国東半島のため池の活用が選ばれた。豊富な農作物だけでなく、先人が築いてきた自然に配慮した農業が見直されている。(奥原慎平)
福岡県朝倉市。古くから「筑紫次郎」と称された筑後川の周囲に水田地帯が広がる。
普段はおとなしい筑後川だが、以前は大雨のたびに氾濫が起き、日本の「三大暴れ川」にも数えられた。
「利水の方法を知らず」と呼ばれた筑後川からの取水工事は江戸時代前期の寛文3(1663)年に始まった。河口から約50キロの場所に、石や土嚢(どのう)を積んで流れをせき止めた上で、樋(とい)をかけ、人工の川から開墾地に流すようにした。
だが、その後、水量不足で周辺は干魃(かんばつ)に悩む。宝暦10(1760)年、地元の庄屋、古賀百工が取水の全面改修に取り組む。延べ60万人が工事に従事し、寛政2(1790)年、山田堰の原型が誕生した。
全長320メートル、堰高3メートル。流れに対し斜めに堰を築き、決壊しにくい構造となっている。堰からは3本の水路が通り、流速を抑えながら、水を堀川用水に導く。ダムと違い土砂が堆積することもない。川魚が遡上(そじょう)できる水路も設置されている。