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電機
創造と破壊「ソニーにいたらできなかった」 元技術者の近藤哲二郎さん
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ISVC技術で処理した映像
「真面目(まじめ)なる技術者の技能を最高度に発揮せしむべき自由闊達(かったつ)にして愉快なる理想工場の建設」
ソニー創業者の一人、井深大が起草した東京通信工業(ソニーの前身)の設立趣意書だ。そこに書かれた理想工場が今も健在する。
テレビ事業の不振にあえぐソニーの生産拠点ではない。元ソニーの技術者で、同社をかつてテレビシェア首位に押し上げた立役者である近藤哲二郎(64)が2009年に設立した完全独立系オープンイノベーション、●(アイキューブド)研究所(東京都世田谷区)だ。
一緒に独立した若い仲間たちと自由闊達に、それこそ「ソニーにいたらできなかった」技術を次々と生み出している。
「今はむちゃくちゃ元気。みんなも喜んでいる。そして、とんでもないことをやる」
近藤はソニー時代の教え子たちと20年先を見据えた映像処理技術の研究開発に励んでいる。挑むのは、その場にいるような感動を覚える“脳に優しい”映像づくりだ。
近藤は独立後、ブームとなった3D(3次元)テレビの仕事を頼まれたが、断ったという。3Dが20年後のテレビではないと判断したからだ。
その上で「本当の意味での3Dを開発する」と、画面に映っている物体を認識するときの脳の負荷を抑えながら高精細な4K映像を創り出す技術「ICC(統合脳内創造)」を11年5月に発表した。
ICCは当初60型クラスの4Kテレビを対象にしたが、研究開発対象を拡大。何キロにも広がる大自然の迫力を大型スクリーンで体験できる技術開発に乗り出した。
コンセプトは「(1960年公開の映画)『ベン・ハー』が封切り時にアピールした総天然色(カラー)と大スペクタクル(壮大さ)。映画をテレビで見るようになって、失われたスペクタクルの感動を脳が味わえる映像を提供する」。
「とんでもないこと」の一端が今年2月に披露された。ICCを進化させ「脳内感動創造」と呼ぶ「ISVC」技術を開発した。まさにスペクタクルの感動がよみがえる映像処理技術で、大型ディスプレーに映し出されている場所に実際にいるかのような臨場感や迫力を大画面で得ることができる。
発表会では、フルハイビジョンカメラで撮影した本栖湖から望む富士山をISVCで処理、4Kプロジェクターを使って450型大型スクリーンに映し出した。富士山の圧倒的な存在感はもちろんだが、例えば「富士山の神々しさ」を脳が記憶していれば、その情景がよみがえるという。
一般的な超解像技術で処理された4K映像は、カメラの焦点が合っているところはきれいに映るが、その周囲はぼけてしまう。これに対しISVCで処理した映像は、近景から遠景まで大画面いっぱいに広がる景色のどこをみてもピントが合っているので見ていて疲れない。つまり脳に優しいというわけだ。
映像処理技術で最先端を走る近藤だが、ここまで順風満帆の技術者人生を歩んできたわけではない。ソニーでは不遇の時間の方が長かったかもしれない。
花が開くのは、ソニーでも知る人が少ないという10年先を見据えた研究開発に取り組む★(エーキューブド)研究所の所長を務めてからだ。その成果として97年に、標準画質の解像度の地上波放送をデジタル処理してハイビジョンの解像度に高めるクリエーション技術「DRC」を開発した。
DRCは、平面ブラウン管テレビ「ベガ」シリーズに初めて搭載され、一気に市場を切り開いた。ベガがあまりにも売れたため、ソニーはテレビの薄型化競争に乗り遅れてしまったが、後の液晶テレビ「ブラビア」に進化したDRCを搭載、再度巻き返した。近藤はソニーのテレビの進化に欠くことのできない人間だった。
近藤を見いだしたのは1995年に社長に就いた出井伸之(75、現クオンタムリープ代表)だ。近藤は他を圧倒する約400件の特許にかかわったにもかかわらず、製品化されたものが一件もなかった。社内で“異端”といわれた近藤は、異端ゆえにその能力が認められず、斬新な研究成果もなかなか取り上げられなかった。開発途上だったDRCも出井が近藤を抜擢(ばってき)しなかったら、日の目を見なかったかもしれない。
「SONY」の4文字が醸し出す自由闊達、旺盛なチャレンジ精神といった企業イメージも過去のものになっていた。活躍の場を与えた出井は2005年に退任し、近藤は09年にソニーを辞め★研究所を母体に●研究所を設立した。部下もついてきた。
近藤は「画像信号処理技術を開発してもソニーにはインフラ(搭載するディスプレー)がなくなった。育てられたソニーに恩返しをしたかったが、『やらない』と言われたらどうしようもない」と独立のいきさつを語る。
出井は近藤の仕事に対して「きれいな画像を創る技術は4Kの上を行く。ハードではなくアルゴリズム(計算手法)というソフトの世界で生きているので、ディスプレーがある限り技術は生きる」と一目を置く。さらに「(外に)飛び出す勇気がソニーの強み。生き残るには先を読んで次元を変えなければいけない。20年先をみる●研究所は強い」と評価する。
「次元を変える」のは近藤の真骨頂で、「借金をしてでも欲しいものを創る」というソニーの技術者魂の持ち主だ。「『やるな』と禁止令が出ても、やった。錬金術になると確信したからだ。ハイビジョンを10年先取りしたDRCがそうだった」と振り返る。ハイビジョンがないとき、標準型でハイビジョンを見せるのだから、まさに錬金術といえる。
禁止令を無視した仕事だけに成功したときのインパクトは大きい。実際、DRCはソニーをテレビシェア首位に導いた。
●研究所では、もう一段上の画像処理技術に挑んだ。「次の映像、次の産業」を創るのが狙いだ。「技術はいくらでも進化する。だから、技術者は守りに入ってはいけない。守ると必ず追いつかれる。創ったものを壊すことが大事」と近藤は考える。
その上で「壊すのは開発した本人の役割。他人に壊されると自分は没落するが、自分で壊すと進化する」と言い切る。
そこで20年先、つまり「DRCの次の映像は何か」を推定し、自ら創ったDRCを壊してICCを開発した。「DRCとは全く違う技術。超解像がブームだが、(脳が感動する映像づくりという)非常識が常識になりつつある」と、この技術が錬金術になると確信する。その兆しが出始めた。今年2月にICCを搭載した60型液晶テレビをシャープが発売した。
近藤の技術者魂は、●研究所の若手技術者にたたき込まれている。近藤は同社を「道場」と呼ぶ。徒弟制度のもと、大学時代に学んできたことを忘れさせることから人材育成が始まる。「人間国宝の本をいくら読んでも人間国宝になれない。(今の延長線上にある未来を予測する)常識ではなく、非常識を創ることが大事。これこそ価値ある研究。一緒に仕事をすることで学べる」と強調する。
「禁止令が出ても錬金術に取り組むのがSONYのDNA」と近藤は指摘する。
かかわった特許は「1700件、海外を含めると6000件」に膨らんだ。錬金術師のもと、非常識に挑む●研究所。ソニーになくなったソニースピリットがここに受け継がれている。(松岡健夫)=敬称略