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“プラズマ神話”破壊するパナソニック 「大政奉還」封じる意味とは?
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松下幸之助歴史館の玄関に立つ幸之助氏の銅像=大阪府門真市 パナソニックが、今年度末でプラズマテレビとパネル事業からの撤退を発表した。津賀一宏社長は、脱テレビ依存の推進など現在の業績不振につながった過去との決別を進めているが、プラズマ戦略は、旧経営陣の推進事業の象徴だっただけに経営改革の総決算といえる。
人事面でも前社長の大坪文雄氏が6月に会長から特別顧問に退くなど旧経営陣は影響力を失った。大坪氏の前任社長、中村邦夫氏だけは相談役に残ったが、その背景には大政奉還の亡霊を封じる意味があるといわれる。
「普通の会社ではない」。昨年6月の就任直後、津賀社長はパナソニックの現状について、こう言い放った。
過去10年間のうち、通期決算で4度も最終赤字があり、直近は2期連続で7千億円の巨額赤字を計上している。三洋電機とパナソニック電工の完全子会社化で事業分野を広げ、優秀な人材と経営資源を投入しながら「これだけパフォーマンスが上がっていない会社」(津賀社長)は普通ではないというわけだ。
このため津賀社長は経営改革に取り組み、創業者の故・松下幸之助氏が導入した事業部制を復活させた。事業ごとに開発、生産、営業を一元的に管理する仕組みだが、中村氏が「別々の事業部が同じ製品をつくるなど無駄が目立つ」と廃止した経緯がある。
脱テレビ依存を進め、浮き沈みの激しい消費者向けビジネスを中心とする経営体質からの脱却を目指し、比較的堅調な企業向けビジネス(BtoB)に経営資源を集中。航空機や住宅設備関連事業など成長ビジネスを強化している。
これら経営改革に社内では反発の声が根強かったといい、パナソニックOBは「抵抗勢力が反対の背景には中村氏が作り上げたプラズマ神話がある。津賀社長はその神話を壊すことにこだわった」と説明する。
6月、プラズマへの大型投資や三洋電機買収などが巨額赤字につながったとして、経営責任を明確にするため大坪氏が会長職を退いた。10月には大坪、中村両氏の社長時代に重用された役員らは更迭、担当替えで影響力を急速に失った。
その過程では、津賀社長は社内の中枢情報を中村相談役に流れないように配慮し、「中村・大坪路線」の幕引きを進めたといわれる。
その中で唯一、中村氏は相談役にとどまった。前出のOBは「津賀社長はパナソニックが普通の会社でなくなったのは中村氏のプラズマ戦略だと思っている。相談役も退いてほしかったのが本音」と推察する。
ただ、事情に詳しい関係者は「大坪氏が会長退任を意思を表明した後、(創業家出身の)松下正幸副会長の会長昇格への待望論が出てきた。中村氏は平成12年に自らの社長就任で阻止した松下家への大政奉還の亡霊を復活させないため目を光らせる必要性を感じたのは」と説明する。
確かに、トヨタ自動車では21年に創業家出身の豊田章男社長が就任。グループの旗である豊田家に大政奉還し、初の連結営業赤字に転落した業績不振からの回復を全社一丸となって成し遂げた。
実際、豊田社長はグループの求心力の象徴として世界的な景気後退や米国での大規模リコール(回収・無償修理)問題などの危機を乗り切り、世界販売1千万台に挑んでいる。
しかしパナソニックにとって創業家はトヨタとは意味合いが異なる。中村氏は社長時代、バブル期の過大投資で経営危機に陥った松下家と関係の深い不動産会社、松下興産(現MID都市開発)の破綻処理を手がけ多額の資金も投入した。
このこともあり、松下家は経営に口出しできなくなった。関係者は「パナソニックにとって創業家と経営の分離は長年の課題。大政奉還の可能性があれば中村氏はやめるにやめられない」と話す。
結局、会長職には、稼ぎ頭への成長が期待される住宅設備関連部門を率いるパナソニック電工出身の長栄周作氏が就任した。
パナソニックでは今なお「経営の神様」と呼ばれた幸之助氏の影響力が絶大だ。中村氏も社長時代に経営判断に迷うと、敷地内の松下幸之助歴史館に足を運び、何時間も考え込むことがあったという。
その中村氏は社長時代に「経営理念以外は壊して良し」と号令した。経営の神様が打ち出した事業部制の廃止など構造改革を実行した。
だからこそ、巨額赤字からの復活のためには不振の原因となった仕組みや方針は創業者の考えたものであっても否定せざるを得ないケースがあることは熟知しているはずだ。
津賀社長は、過去の経営の象徴として中村氏を“目の敵”にするが、そこにはいまや、かつて鮮やかな業績のV字回復を成し遂げた中村氏を「中興の祖」として聖域化している現実がある。
現在の業績不振から会社を立ち直らせるには、自らの経営判断が否定の対象になることは本人も理解しているだろう。
中村氏は口数が少ないこともあり真意は漏れてこないが、ある関係者は、こう代弁する。
「そもそも津賀社長を40代で役員に抜擢したのは中村氏。津賀社長は役員時代に尼崎の最新鋭プラズマ工場の稼働停止を進言したことで“社長の器”と認識された。中村氏は業績回復のためなら自らの否定も甘んじて見守るに違いない」 (松岡達郎)