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書評
【書評】『無念なり 近衛文麿の闘い』大野芳著
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井家上隆幸・評
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「文麿の目指す政治は、あくまでも政局に左右されない良識の府であった。『皇室の藩屏(はんぺい)』たるものは、私情を捨てて理想国家の建設に邁進(まいしん)すべき、というものであった。/しかし政治の現場は、そのような理想論を容認する環境にはなかった。ここに文麿の置かれた現実と理想とが乖離(かいり)しはじめるのである」
〈近衛文麿〉-天皇の最側近、五摂家の筆頭近衛家の主で、長身白皙(はくせき)の貴公子は、その〈乖離〉に挫(くじ)けず闘った。
満州事変(昭和6年9月)から6年、12年6月、45歳の近衛文麿は首相となった。その1カ月余り後の7月7日起きた盧溝橋事件に端を発した戦火が中国大陸に広がるなか、和平の道をさぐるが軍の妨害で実らず。14年1月、日独伊三国軍事同盟締結の動きに反対して辞職。15年7月、第2次近衛内閣組閣、そして16年7月、第3次近衛内閣組閣。この間のエポックは大政翼賛会と日独伊三国軍事同盟、そして日米交渉。だが中国からの撤兵というアメリカの要求を陸軍が拒否し、天皇もこれを支持するに及んで、同年10月辞職、東条英機首相となる-。「文麿の悲劇の時限装置」の〈スイッチ〉を入れたのは、文麿とは明治45/大正元年、京都帝大で出会って以来の“親友”内大臣木戸幸一。
著者は「敗戦直後、急進的な青年の団体が内大臣木戸幸一の命を狙ったが、それは木戸が『和平論の元凶』だったからではなく、なすべき仕事をしない『君側(くんそく)の奸(かん)』だったからだ」と手厳しい。
戦後、近衛は、天皇退位までも視野にいれ憲法改正案の準備を進めた。もしそれが実現していたならば、70年近くたった今もなお〈戦後〉という、その〈戦後〉はとうに終わっていたのではあるまいか。
「戦後のメディアが『弱い人間』『すぐに投げ出すクセがある』という木戸がまき散らした文麿のイメージを定着させてしまったが、和平を公言し、果敢に終戦工作に動いた文麿は決して弱くはなかったのだ」という近衛文麿への愛惜と、木戸幸一への指弾を軸とした本書は、鮮烈な〈昭和史〉である。(平凡社・本体1900円+税)
評・井家上隆幸(文芸評論家)