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書評
【書評】『小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑(ショウ)タイム』
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『小林信彦萩本欽一ふたりの笑タイム名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏』書影
テレビをつけるとバラエティーとクイズ番組の氾濫で、お笑い系タレントが見せる芸もなく、益体(やくたい)もない出来事をばらし合って喜んでいる。視聴者はシラケるしかない。本書は萩本欽一が作家の小林信彦に編集部を介してコメディー、お笑いについて教えを乞(こ)うた喜劇対論。
萩本がコメディアンの修業を始めたのは昭和35年で、浅草の東洋劇場に見習いとして入った。その頃はどの劇場も専属のコメディアンを抱えていて、東京にコメディアンが600人(?)いた。
現在はお笑いブームなんていわれており、萩本に言わせると「コメディアンになりたい!」という子供は、自分の修業時代より100倍くらい多くなっている。ただし、テレビが普及して以降、舞台から喜劇人が育っていない。
浅草で修業して有名になったのは(ビート)たけしが最後。小林も、いまのテレビは安易に、人気だけで出演させるからコメディアンは育たないと苦言を呈している。
テレビ創成期のバラエティー番組。「ゲバゲバ90分!」放送までの大作戦。当時はゲバ棒の時代で、ゲバルトからきているタイトルだった。
コント55号の時代。昭和41年に結成。「なんであんなに跳んだり倒れたりしたの?」って聞かれたら、「『食えないから』としか言いようがない」と萩本は本気で答えている。
「日本の笑いを変えたクレイジー・キャッツ」。渥美清が「ニッポン無責任時代」を観(み)て「いやぁ~、植木の時代になったな」と言った。昭和37年、高度成長期で日本人がこつこつやっているときに「こつこつやるやつぁ~ ご苦労さん」とやった斬新さ。
戦前の浅草三大勢力は、エノケン、ロッパ、ターキー。
日本最初のコメディアンはエノケンじゃないかと話し合っている。小林の博識は、日本の喜劇のルーツは「俄(にわか)」から浅草オペラへと進化すると丁寧に考証している。
渥美清のまったく売れないとき、寅さんへ。森繁久弥のアドリブ。由利徹の楽屋話。三木のり平の完全なる芸。コメディアン・アーカイブ。萩本の危機感が出ている。(集英社・本体1500円+税)
評・水口義朗(文芸評論家)