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書評
【書評倶楽部】京セラ顧問・伊藤謙介 『ひこばえに咲く』 玉岡かおる著
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伊藤謙介氏
最近、芸術界の「賞」にまつわる疑惑が世上を騒がせた。本書に登場する、「津軽のゴーギャン」とうたわれた画家、常田健(つねたけん)(当作品ではケン)は、その極北に位置する。常田は誰かに見せるためではなく、「生きている確証」をつかむために画作に没頭した。
本著は、その常田健をモデルにした小説で、画家の生涯をタテ軸に、パリ、東京、そして雪深い津軽で繰り広げられる恋や、人間の喜び悲しみが、美しく流れる文体で描かれる。
旅先のパリで、妻子ある実業家の男性と逢瀬を重ねる香魚子は、満たせぬ想いを抱きながら、親から譲り受けた銀座の画廊を経営している。
たまたま手にした画集で、ケンの絵を見て衝撃を受ける。茶褐色で描かれた働く男たちの肌や土の色。絵の中に「凝縮された生」の匂いを嗅ぎとり、浮遊するような自分の生き方に激しい焦燥を覚え、雪深い津軽に画家を訪ねる。
すると、150枚もの作品が、納屋の2階に無造作に置かれていた。しかも、いずれにも製作日が記されていない。主人公の絵は、すべて未完成なのだ。
ケンは言う、「カネのために絵を描くと、どこかさもしい絵になってしまう」と。画業を誇ることや、名声や野心のひとかけらもない画家の言葉に感銘をうけた香魚子は、個展の開催を強く決意する。
孤高の画家と生涯の友人との青春の日々も描かれる。画家の感性の鋭さや、情感の繊細さがうかがえ、興味深い。
なぜか、私は雪深い北国にひかれる。厳冬に一人旅立ち、吹きすさぶ竜飛岬に立ったこともある。津軽海峡から駆け上がってくる雪煙りは、まるで白い竜のようであった。
青森出身の太宰治や寺山修司、棟方志功、そして常田健は、「白い情念」を吐く竜なのかもしれない。(PHP研究所・本体1700円+税)
〈いとう・けんすけ〉昭和12年、岡山県生まれ。京セラの創業に参加。経営哲学の継承に力を注ぐ。著書に『挫けない力』など。