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【逍遥の児】「忠臣蔵」の現場を巡る

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【逍遥の児】「忠臣蔵」の現場を巡る

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 よく晴れた冬の週末。江戸城本丸跡。広い、広い空。かつて一角に松の廊下があった。元禄年間。赤穂藩主、浅野内匠頭(たくみのかみ)が吉良上野介(こうずけのすけ)に斬り付けた現場だ。「忠臣蔵」の発端である。

 浅野は拘束され、身柄を新橋の田村邸に移される。田村家は一関藩(岩手県)藩主だった。新橋の和菓子屋、新正堂の渡辺仁久(よしひさ)社長(61)と会った。

 「田村邸は広大で、約2000坪あったそうです。庭にお化けイチョウと呼ばれた巨木がありました。浅野内匠頭は、イチョウの木のそばで切腹したと伝えられています」

 新正堂は旧田村邸敷地内にあった。道路工事のため、近くに移転したが、いまも忠臣蔵ゆかりの「切腹最中」を販売している。また、渡辺社長は赤穂観光大使を務める。

 「お化けイチョウは関東大震災で焼けてしまいました。田村邸をしのぶものは残っていませんが、事件のことは語り継いでいきます」

 次に墨田区両国(旧本所松坂町)を訪れた。ここに吉良邸があった。敷地約2500坪。吉良邸跡の一部は、壁に囲まれ、保存されている。往時をしのぶことができる。

 1702(元禄15)年12月14日。大石内蔵助(くらのすけ)率いる赤穂義士47人が討ち入った。吉良邸には多数の家臣がいたが、寝込みを襲われ、あわてふためく。激しい戦闘。屋敷を制圧した。だが、吉良がいない。懸命の捜索。炭小屋に潜んでいる老人を発見した。首を落とし、見事、本懐を遂げる。

 赤穂義士は主君の眠る泉岳寺(港区高輪)に凱旋(がいせん)した。わたしも泉岳寺に参拝した。忠臣蔵の季節とあって多くの人が訪れている。境内の墓所に向かう。線香を求める長い行列。ひと束の線香。100円。マキで火をつけてもらった。

 主君の墓前。義士たちの墓がずらりと並ぶ。壮観。死してなお、主君を守ろうとしているかのようだ。墓石には姓名と享年が刻まれていた。

 事件からすでに300年余の歳月が流れた。だが、赤穂義士の義挙は日本人をひきつけてやまない。わたしは墓前で合掌した。人々が供える線香の煙がたちこめる。目にしみた。(塩塚保/SANKEI EXPRESS

 ■逍遥 気ままにあちこち歩き回ること。

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