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【日本遊行-美の逍遥】其の三(山鹿・熊本県) 積み重なる文化 創造力を刺激

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【日本遊行-美の逍遥】其の三(山鹿・熊本県) 積み重なる文化 創造力を刺激

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不動岩山頂に至るまでの道で、山鹿番傘を撮影=2013年8月7日、熊本県山鹿市(井浦新さん撮影)  山鹿(やまが)という場所は、時間の蓄積が濃厚な場所だ。興味に導かれるままに歩けば、風情ある温泉宿場町、チブサン古墳などの装飾古墳群、不動岩などの巨石、灯籠や番傘づくりを含め、1500年以上の文化が層として積み重なっているのを感じる。

 文化が積層する場所に足を運びたいという欲求は、僕の旅の基本的な動機であり、以前からチブサン古墳は記憶にインプットされ、行きたい所の上位に位置づけられていた。

 こんなにもユニークな感覚をもった人々がかつて日本に暮らしていたという衝撃は、僕の創造力を刺激してくれる。チブサン古墳に限らず、山鹿の魅力の一つとして、横穴群や古墳群が密集していることが挙げられよう。岩地蔵や磨崖仏(まがいぶつ)、種々の塔なども大地を覆うように点在しており、本来ならば車で全てまわりたいところだが、まずは自然巨石の一つである不動岩に連れていっていただいた。

 前不動、中不動、後不動の3石からなる不動岩の付け根には不動神社の拝殿があり、山伏などの行者の修験場だったことがうかがわれる。この独特の形態からして、おそらく摩羅信仰があったに違いない。人智を超えるサイズの奇岩や巨石には神が宿る。そういうものを見つけると、人間は自然に手を合わせ、集い、そこに信仰が生まれ、文化が育まれる。不動岩に案内してくれた地元の先生によると、子供の頃、この岩にみんなで登って遊んだそうだ。遊び場というのは、自然から学びを得る場所にもなっていたはずだ。自然信仰はプリミティブなもので、そのプリミティブさゆえに、信仰という崇高なものから、行者の滞在、子供の遊び場所までを受け入れ、生活文化のなかに落とし込まれ、一つのリズムを刻んでいる。

 ≪人が育み、人を育む風土≫

 かつて西日本一の生産量を誇った山鹿傘も、戦後の洋傘の普及により途絶えてしまった。しかし今、一人の若い職人、吉田崇さん(40)が山鹿傘の復活に励んでいると聞き、工房にお邪魔した。

 山鹿傘の特徴は、持ち手に焼きを入れることにより装飾を施し、それが虎のようでもあり、なかなか粋である。京都の華奢(きゃしゃ)で繊細な傘に比べると、力強さを兼ね備えており、日常使いにも耐えうるものだ。

 和傘づくりの工程では、ベースを吉田さんがつくり、切り絵による絵付けを奥さんが担っている。興味深いのは、伝統的な和傘づくりを継承しながら、実用面や現代的な面白さを考慮している点だ。色も黒や白や茶のみならず、紫や赤や緑など、女性にも受け入れられる色を展開している。

 骨を支える傘の先端の部分は「頭ロクロ」と呼ばれ、傘のなかでも一番肝心な部分だ。「頭ロクロ」づくりには別に専門の職人がいるのだが、現在日本には1人しかいない。国内では山鹿以外に京都や岐阜などの大きな和傘の産地があり、この「頭ロクロ」を手に入れるために吉田さんは日々奔走しているのが現状である。

 日本のものづくりのルーツは、自然が豊かで水がきれいな場所にある。それらの場所はたいてい都市部からは遠い。そこに住んでいる人たちは、謙遜も含めて「ここは何もないでしょう。ゆっくりしていって下さいね」と言う。しかしながら僕から見れば、東京よりも情報やものの数は少ないけれども、本物の数は明らかに多い。

 積層する時間、それを想う人々の心、それらの総体を「風土」と呼ぶならば、「風土」は人が育むものであり、同時に人は「風土」に育まれる存在であることに気づかされる。(写真・文:俳優・クリエイター 井浦新/SANKEI EXPRESS

 ■いうら・あらた 1974年、東京都生まれ。代表作に第65回カンヌ国際映画祭招待作品「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(若松孝二監督)など。ヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」では第55回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。

 昨年12月、箱根彫刻の森美術館にて写真展「井浦新 空は暁、黄昏れ展ー太陽と月のはざまでー」を開催するなど多彩な才能を発揮。NHK「日曜美術館」の司会を担当。2013年4月からは京都国立博物館文化大使に就任した。一般社団法人匠文化機構を立ち上げるなど、日本の伝統文化を伝える活動を行っている。

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