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社会
阪神大震災から19年 神戸と南三陸 つながる商売人の思い
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兵庫県神戸市中央区の東遊園地で行われた「1・17のつどい」でろうそくに向かい手を合わせる子供=2014年1月17日早朝(土井繁孝撮影) 6434人が亡くなった阪神大震災は1月17日、発生から19年が過ぎた。兵庫県内の各地で追悼行事があり、東日本大震災の被災者も参加、発生時刻の午前5時46分には共に黙祷(もくとう)し、犠牲者に祈りをささげた。震災は来年、20年の大きな節目で、教訓をあらためて検証する年になる。神戸市では震災経験のない住民が4割を超え、防災意識の低下や記憶の風化が一層懸念される。復興過程で得られた知恵を若い世代に伝えるとともに、広く発信する被災地神戸の責務は高まっている。
被災した兵庫県西宮市の谷文彦さん(50)は神戸市灘区で20年以上経営していたブティックを閉め、同じ場所に東北の魚介類を提供する飲食店「セルフィッシュ」を昨年(2013年)10月にオープンした。きっかけは東日本大震災で支援物資を送ったお礼に新鮮な海の幸を届けてくれた宮城県南三陸町の鮮魚店経営、三浦保志さん(59)との交流だった。「被災した街に残る」。別々の震災を経験した2人だが商売人としての思いは同じだ。
1995年1月17日、谷さんは、西宮市の崩れかかった自宅マンションからブティックまで自転車で走った。崩壊した街、家族が家の下敷きになり泣き叫ぶ声。「神戸はもうあかんな」。頭が真っ白になった。幸い店は無事だったが、道の反対側はほとんど建物がつぶれていた。
家族と大阪府藤井寺市の実家に避難し「もう神戸では商売できない」とこぼすと父親が怒った。「商売人が出て行ったら街がだめになる」
周りはがれきの山。ブティックなんて明るい商売をやっていいのか。迷いながらも2月初めに店を開けると、近くの避難所から大勢が来店した。「嫌なことを忘れられる」と喜んでもらえた。
しかし数年後からは、景気の悪化とともに売り上げは落ちる一方になった。そんな時、東日本大震災が起きた。常連客が店に支援物資を持ってくるが、送り先が分からない。インターネットで探すと、三浦さんの店に行き当たった。
物資を送り、電話でのやりとりを続け、2011年5月に南三陸町へ。初めて会う三浦さんはがれきの中で支援物資の仕分けをしていた。
疲れ切っていたが、笑顔を見せて言った言葉は「逃げ出さずにもう一度街を復興させたい」。かつて父親から言われた言葉を思い出し「応援したい」と強く思った。
神戸に戻ると、翌月から毎月のように魚が送られてくるようになった。ギンザケやサンマ、毛ガニ。どれも絶品だった。
もらってばかりではいけない。三浦さんから魚を購入し、12年7月からブティック向かいの駐車場で路上販売を始めた。月10回以上魚を売り、売り上げを三浦さんに送った。
迷いはあったが「東北の魚を扱う店の方がお客さんに被災地支援の話もしやすい。三浦さんとも関わり続けたい」と決め、店は鮮魚も販売する飲食店に生まれ変わった。
「阪神大震災での経験がなかったら三浦さんの思いに共感しなかったし、つながりもできなかった」。そう話す谷さんは前掛け姿で今日も魚が並ぶ店頭に立っている。(SANKEI EXPRESS)