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【逍遥の児】太宰治が投宿した割烹旅館
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作家、太宰治。安住の地を定めることはなかった。追われるかの如く転居を繰り返した。1935(昭和10)年夏から1年余、千葉県船橋市宮本1丁目の借家で暮らしている。
学業不振で東大卒業は絶望的。新聞社の入社試験には失敗。鎮痛剤中毒に苦しむ。悲惨な27歳だった。
太宰の旧居跡を探そう。わたしは地図を頼りに狭い路地をさまよった。ようやく発見した。民家の脇に「太宰治旧居跡」の碑。ここか。
旧居跡を起点に西に向かう。20分ほど歩く。目指す割烹(かっぽう)旅館「玉川」(船橋市湊町2丁目)に着いた。
大正時代の創業。重厚な造り。楼閣のようだ。借金まみれの青年文士は玉川に20日間、籠もり、小説を書いたと伝えられる。
女将(おかみ)の長野與子(ともこ)さんに会った。
「はい、確かに。太宰治は桔梗(ききょう)の間に泊まっていたんですよ」
――拝見できますでしょうか。
女将の案内で館内を進む。黒光りする廊下。見事な欄間(らんま)。2階大広間から階段を降りていく。小部屋が連なる。迷路のようだ。奥まった一室が桔梗の間だった。4畳半と3畳の二間。鏡や座卓など調度類は往時のままという。
「太宰ファンの方は、桔梗の間を指名して泊まられますね」
逸話を聞いた。太宰と応対したのは、女将のはなさん。與子さんの祖母だ。
「10日締め」という習慣があった。居続けの客には10日目に代金を一括して請求する。太宰は「手元に金はないが、送金してもらう」とでもいって延泊を頼んだようだ。しかたなく、もう10日泊めた。20日目に請求しても金を払わない。女将はいった。「お帰りください」。太宰は借金のかたに万年筆とフランス語の辞書などを置いていったそうだ。
「それを麻袋に入れて大事に保管していたんです。わたしも(麻袋を)見たことがあります」
ところが、昭和50年代、女将一家の住居が火事。麻袋ごと焼失したという。惜しい。
寒い夜。玉川再訪。湯船に浸かり、宴に臨む。洗練された器。美しい料理。熱い酒を飲む。太宰もまた、こうして酒をあおったのだろうか。(塩塚保/SANKEI EXPRESS)