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【日本遊行-美の逍遥】其の五(富士山・山梨県/静岡県) 刻一刻と変化する霊峰に身震い 

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【日本遊行-美の逍遥】其の五(富士山・山梨県/静岡県) 刻一刻と変化する霊峰に身震い 

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富士山では足下から雲が湧き、それが刻一刻と変化する姿を見ることができる=2013年9月6日、山梨県/静岡県(井浦新さん撮影)  気がついたら、富士山にレンズを向けていた。あの美しい姿は、僕でなくとも誰もが撮りたくなるに違いない。葛飾北斎の富嶽三十六景を引き合いに出すまでもなく、多くの人々が富士山の姿に魅せられ、心の風景としてきた。

 その愛(め)で方もさまざまで、光や雲の具合により「赤富士」「黒富士」「傘富士」などの愛称があるし、地方を旅すれば「津軽富士」「讃岐富士」など、地域の山々に見立てた名前がつけられている。江戸時代には富士信仰の一種である冨士講が隆盛し、関東を中心に広まった。今でも富士山の神を祀(まつ)った富士塚や、「富士見坂」など富士山を冠した地名が残っている。

 しかし昨年まで僕は、富士山に登ったことがなかった。仕事で山梨や静岡に行けば、つねに富士山の方角を確認し、黄昏時に高層ビルから望むシルエットを目に焼き付ける。ただやはり、富士山に登ることはなかった。どうしても気になる、目に飛び込んでくる存在であるにもかかわらず、である。それは富士山の魅力は造形美にあり、その懐に飛び込むのに気が進まなかったからだ。道行きの発見より、富士山は登頂したときの達成感の方が勝りそうだと遠ざけていたのだが、それは杞憂(きゆう)にすぎなかった。

 2013年9月、テレビ番組の仕事で9日間かけて富士山登頂に挑んだ。浅間神社で手を合わせ、御殿場口に立ったとき、足下は黒い溶岩の砂利だらけ。粒子にズッポリ足を埋めると、一歩一歩が重い。ちょうど台風が日本列島を襲っていた時期で、天候がめまぐるしく変わる。目の前で雲が生まれ、さっきまでの青空が3分後には真っ白に。雲の影が山肌にくっきり映り、あっという間に流れて行く。それが時として魔物にも見え、気持ち一つで富士山が楽しいものにも、怖いものにも変化し、心が揺さぶられてしまう。

 ≪また登りたくなる魔性の存在≫

 富士山を望む宿に泊まり、毎日3000メートル地点までを往復していたが、とうとう3000メートル地点の山小屋に待機し、嵐が去るタイミングを見計らい、山頂にアタックすることになった。

 どんなにチェックしても、気象庁のデータは通用しない。ヘッドライトの明かりを頼りに山頂を目指す。富士山は常に、「どうだ、登ってこい」と上から目線で見下ろしているのだ。なかなか手強(てごわ)い。山頂へ辿(たど)り着いた瞬間、振り向きざまの景色をファインダーに収めた。僕はこのとき、宇宙が撮れたとさえ思った。

 日本で一番宇宙に近い場所で、朝焼けがうっすら霞み、山頂の鳥居の上には北斗七星、そして周りには無数の星が怖いくらいにまたたいている。星空と朝日が一緒に見える不思議な景色。雲の切れ間に街灯りが揺れる。夜と朝、宇宙と地球、異次元との境界線。この世とは思えない崇高な時間。ここは特別な場所だと感じずにはいられなかった。

 そして、とうとう朝日が昇ってきた。これまた太陽に一番近い場所で、強烈な光に照らし出され、すべてが露(あら)わになる。歯が鳴るほど寒いのに、とんでもない日差しが照りつけ、水蒸気が上がる。逃げ場もない。何を撮っても全部が映る。その後、下山の途中で僕は、降り注ぐ紫外線にコテンパンにやられてしまった。

 なぜ富士山は、長い時間を経て、人々の心象風景になりえたのだろうか。富士山に登り、大自然の中に身を投じることで、自分と向き合い、対話することができる。まさに修行の場だ。

 人智を超えた驚異的な自然。なかでも富士山の自然は力強く、その営みのサイクルが早い。雲の流れ、風雨、気候の変化。細やかに、そして早送りのようにめまぐるしく変わり続ける富士山の姿に身震いがした。そしてまた不思議と登りたくなるのが、この霊峰の魔性なのである。(写真・文:俳優・クリエイター 井浦新/SANKEI EXPRESS (動画))

 ■いうら・あらた 1974年、東京都生まれ。代表作に第65回カンヌ国際映画祭招待作品「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(若松孝二監督)など。ヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」では第55回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。

 昨年(2013年)12月、箱根彫刻の森美術館にて写真展「井浦新 空は暁、黄昏れ展ー太陽と月のはざまでー」を開催するなど多彩な才能を発揮。NHK「日曜美術館」の司会を担当。2013年4月からは京都国立博物館文化大使に就任した。一般社団法人匠文化機構を立ち上げるなど、日本の伝統文化を伝える活動を行っている。

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