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デジタルカメラを忘れた欧州旅行の教訓 長塚圭史

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デジタルカメラを忘れた欧州旅行の教訓 長塚圭史

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ハイドパークにて。この光景をきちんと身体に刻むことが出来たのか、それともせっせと液晶画面を確認していたのか=英国・首都ロンドン(長塚圭史さん撮影)  【続・灰色の記憶覚書】

 久方ぶりの休みに2週間ほどヨーロッパを散策。大変に充実の旅行だったのだけれど、帰国して日常に戻ったら、あっという間に東京のリズムに呑まれて、楽しく反芻(はんすう)する間もないまま、時はするすると流れていった。普段ならデジカメを携帯してゆくのだけれど、今回は休みに浮かれてびゅんと飛び出してしまったゆえスッカリ忘れてきてしまう。自動的に現代を牛耳る魔法の小箱、スマートフォンで代用ということになる。純粋なカメラとは違って若干ぶれやすいということはあるけれど、なかなかの活躍をしてくれる。そもそもこの連載の写真もこの小箱の写真機能に因(よ)るものが多く、当然それなりに美しく撮れる。

 撮っても画像は見返さない

 で、何が言いたいのかというと、結局撮った写真をまるで見返していないじゃないかということなのだ。この掌の中にあるというのに、全然見返さない。指をくねらせればすぐにも飛び出るロンドンやパリの景色を引き出さないのは何故なのか。実はデジカメでも似た現象は生じる。撮りっぱなしのままパソコンなどに複写することもなくカメラ内に放置して、次なる旅行の際にデータとして邪魔になり、とりあえずそれほど思い入れのないような写真から随時撮影に併せて消去してゆくといったようなことも度々ある。

 では何のために撮っているのか。写真というのはそもそも思い出を刺激する装置ではなかったのか。

 或る友人は、撮っている行為そのものが思い出になる、というようなことを言っていた。確かにこの友人と出掛けた際、両足で高くジャンプしたその最高到達点を激写するというような奇抜な試みをする。その撮れたての跳躍写真を見て大笑いし、更なる面白さを目指してジャンプするという行為自体が強烈な思い出となっているのは事実だ。周りの情景も鮮明。行為としての撮影そのものが思い出となっている。その場で撮れたてを液晶画面で楽しむところは、ポラロイドカメラやチェキの感覚に近いのか。手元に物質としての写真が残らないだけで、遊び、享楽として成立しているのかもしれない。

 五感で記憶する方が残る

 では思い出を懐かしく刺激する装置としての写真の役割は現在もう死んだのか。勿論思い出作りなのだ。この素晴らしい風景をこの瞬間だけのものにしたくないその思いがシャッターを切らせる。この風景を持ち帰りたい自分のものにしたい保管しておきたい。そしてぶれずに、それなりに満足のゆく構図が収められれば完了。しかしこれらはほぼ見返さない(勿論プロは別だし、写真を趣味としている人も別だが)。

 もしもこの目の前の風景を、情景を、人びとを、素晴らしい、忘れたくない、傍に置いておきたいと願うのならば、液晶画面をいつまでも睨(にら)んでいるよりも、じっくりと肉体で、五感で体験し記憶する方が、ずうっと思い出となって残るのではないか。五感を研ぎすましたわれわれは、写真の中に収まりきらないさまざまを身体のいたるところで吸収し、目を瞑(つむ)ればその光景がゆっくりと、匂いまでもが浮かび上がってくる。そんな動物的、根源的能力を、われわれは日々恐ろしいスピードで失っているのではないか。この能力こそ、人間が守るべき砦(とりで)ではないか。

 推奨、インスタントカメラ

 というようなことを欧州旅行中にも考えてしまって、さてそこまで高尚な世捨て人でもない私が困っていると、懐かしきインスタントカメラというものがまだぽつぽつ販売されていることに気づき、早速購入してみる。フラッシュ機能だけでパチリとやるこの簡易カメラに液晶画面なんてものはない。写真のチェックなど当然出来ぬのでパチパチそこそこの結果を求める必要はない。

 カメラチェックの時間はカットされ、目の前の情景と向き合う時間が増加。そして写真屋に現像を頼まねばならないということもあって、出来上がりをワクワク待つというのも、何でもかんでも指先サササで手に入る時代には大変に貴重でのんびりと人間臭い時間となり、また現像が仕上がってから家族でワイワイ見る、あるいは失敗写真から情景を連想し、話し合う、そしてこれをウキウキとアルバムに収めるなどという段階的な動作も含めて、写真というものの思い出を引き出す装置としての効果は、もしかするとやっぱりアナログにあるのではないかという確信が膨らみ、それからはインスタントカメラを推薦して回っているのだ。あちこちで再び販売を始めたら案外売れるのではないかと思っているのだけれど、流石(さすが)にそれは幻想なのだろうか。(SANKEI EXPRESS

 ■ながつか・けいし 1975年5月9日、東京生まれ。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成。ロンドン留学を経て、新プロジェクト「葛河思潮社」を立ち上げた。

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