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良い三世間を得られる生き方を 鈴木日宣
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春風がそっと運んでくれた桜の花びらが、母屋の玄関に柔らかく舞い込んできました。今日は花祭り。お釈迦様の御降誕会です。美しく舞い散る桜吹雪のなか、お釈迦様のお誕生をお祝いできることに毎年ひそやかな喜びを感じています。
新年度が始まりました。新社会人の方々は毎日を緊張の面持ちで過ごしていらっしゃるでしょう。私も新社会人となったころ、スーツ姿、通勤電車のラッシュ、そして初めての大人ばかりの社会になかなか慣れず、戸惑っていたことを覚えています。
通勤途中すれ違う人。電車に乗り合わせた人。会社の方々。毎日見かけ、また接するたくさんの人たちは年齢、性別、性格、顔かたちなど実にさまざま。生まれ育った家庭環境、そして今まで歩んできた人生も千差万別です。しかしよくよく考えてみますと私たちは自分の容姿や能力、親や性別を選んで生まれてきたわけではありません。物心ついたら両親がいて、その性別や容姿になっていたのです。「きれいな顔立ちに産んでくれたらよかったのに」「もっと背が高くて足が長かったらなぁ」などと皆さまも一度くらいは思ったことがあるでしょう。
仏教には「
私たちはこの「差別」を何一つ選べずに生まれてきました。その差別の原因はいったいどこにあるのでしょうか。それはその人の前世の善悪の業因にあり、それが今生(こんじょう)の自分という結果となって顕(あらわ)れているのです。前世の自分が選んだものが三つありそれを「
一つ目は容姿、性格、能力、また外界からの情報を目・耳・鼻・舌・身・意識で受け、それによって思ったり考えたりすること。つまり私たちの肉体と精神です。(
二つ目はあらゆる自分と関わりのある周りの人たち。家族、近所の人、友達、会社の同僚や上司など、自分の好むと好まざるとにかかわらず、自分の周りに存在する人々です。(
三つ目は自分が生まれた国や場所などの環境。平和な国に生まれる人や戦争が絶えない国に生まれる人。また便利な都会に生まれ育つ人や緑豊かな郊外に生まれ育つ人もあります。つまり自分の身を置く環境です。(
このようにすべてが前世の自分の業因により決定されたものです。この三世間において、中にはつらい思いや大変な思いをされた方もおられるでしょう。しかしそれを恨んではなりません。親も社会も国も自分を取り巻く周りの人々も、みな自分が前世で選んだ業なのですから。人は死ぬとそこで終わりではなく「生命は永遠であり三世(前世・今世・来世)にわたるもの」という「
≪今生をしっかりと生き抜く≫
人は亡くなるとどうなるのか。1000年以上も前にインドの高僧、天親菩薩という方が「
(1)死んだ人の姿はごく微細なものでできていて天眼通(物を見通す力)を得た者にしか見えない(2)死後の人間はお釈迦様でもさえぎることができないほど早く空間を飛ぶ(3)生きているときと同じように目・耳・鼻・舌・身の五根を具(そな)えている(4)どんな固い物質でも自由に通り抜けられる(5)生前の業(行い)によって次に生まれることが決定するが、死後それを変えることはできない(6)死後の人間は香りを食する。悪業を積んだ者は悪香を食べ、善業を積んだ者は善香を食べる(7)死んでから再び生まれるまでの時間は一定していない。生前善業を積もうとせずいい加減に生きていた者はなかなか生まれ変わることができない(8)どんな遠い所でも前世の業にふさわしい親の元に行き母胎に宿る(9)死後も頭を上、足を下にして歩く(10)死後の姿は5、6歳の大きさで五根は非常に利く。
世の中で不思議な現象を経験したという方は少なくありません。死後の世界や霊魂を信ずる人は多いと思います。それだけにとどめず、「
7年間社会人を経験したあと内田日正氏を師として26歳で出家。日蓮宗系の尼僧となる。現在は千葉県にある寺院に在住し、人間界と自然界の間に身をおきながら修行中。