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人として生まれる難しさ 鈴木日宣
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日蓮宗系の尼僧、鈴木日宣(すずき・にっせん)さん=2013年11月28日、千葉県内(瀧誠四郎撮影)
先月(2月)20日過ぎに鶯(うぐいす)が鳴きました。「春告げ鳥」と言われるように、どんなに寒くてもこの鳥が鳴いたとたん「春が来た」と実感致します。鳴き始めは下手ですが、懸命に練習を繰り返す鶯の鳴き声にはらはらしながら、また時には笑いをこらえながら、いつか上手な歌を聴くことができる日を心待ちにしています。
東日本大震災から今日で3年がたちました。悲しくも震災により命を落とされた1万数千を超える御霊に対し、静かに哀悼の祈りをささげる一日にしたいと思います。
私達は「今日が終われば必ず明日がくる」と思い、そこに何の感謝もなく生きていましたが、前代未聞の大震災を経験し、痛切に「命の大切さ」を多くの日本人が学んだはずです。かの震災で、また病気や事故などで「生きていたい」と願ってもかなわなかった方がたくさんおられます。しかしまだまだ世の中には命ある事に感謝するどころか粗末にする人が後を絶ちません。みなさんも虐待死、殺人やいじめによる自殺などのニュースを耳にするたび胸がふさがるような悲しみ、また憤慨を覚えていらっしゃると思います。エゴで人の生命を奪う所業は決して許されるべきものではありません。
人間として生まれる-。これは決して容易なことではありません。仏教では「天から糸をさげ、深い海底に立てた針の穴にその糸が入ることよりも、人間として生まれてくることはもっと難しい」また「人間に生まれてくることは、全世界の砂を集めた中で爪の上に乗る数ほど少ない」と説かれています。そのように得難い生命をいただいたのですから、決して粗末にしてはなりません。一人一人には前世の業因(ごういん)により定められた寿命(定命)があります。しかし肉体が自然に還るその時までは与えられた命を大事に、そして精いっぱい生きる事が何より大切なことです。
私達は両親より命を授かりました。その私達の命は直接的、間接的にたくさんの人々との関わりによってたもたれています。そして太陽や空気、大地といった大自然からも多くの恩恵にあずかっています。どれか一つでも欠けていたら自分という存在はあり得ません。また地球上に存在するものは相互に関わり合い、影響しあってバランスを保っています。私達一人一人の存在は、自身が気づかないところで周りの人や環境に影響を与え続けているのです。
この世に生を受けた人間の中で必要のない人など一人もいません。つまり私達がこの世に得難い人間として生を受けたという事は、地球上に存在する限り「役目」があるという事です。ですからもっともっと「命」を大切にしていただきたいと私は心から願うのです。
日蓮聖人は「人身は受け難し爪の上の土、人身は持ち難し草の上の露、百二十まで持(たもち)て名を下(くだ)して死せんよりは生きて一日なりとも名を挙げん事こそ大切なれ」と仰せになっています。限りある命を大切にし、その自分の命を育んでくれている自然や国や家族、そして友人等関わりある人達に感謝の心を忘れず、世のため人のために生きることこそ、人間として生まれた私達の一つの大きな役目なのではないでしょうか。
≪四苦八苦 努力によって必ず越えられる≫
仏様が「この世の人々はみな苦しみの海の中にいる」と仰せになりましたように、人生には四苦八苦という苦悩が常につきまとっています。生老病死の苦しみと、愛別離苦(愛する者と別れなければならない苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく、嫌な人と会わなければならない苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく、求めても得られない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく、心身から盛んに起こる苦しみ)です。私達の人生に当てはめてみますと、妻や夫など、自分の愛する人との今生のつらい別れ。社会に出て「嫌だな、気が合わないな」と思っても一緒に仕事をせねばならない。とても欲しい物があってもどうしても手に入らない。また自分自身の体や性格に悩むなど。職場、家庭、学校等においても自分の思うようにいかない事がたくさんあり、人の苦しみは尽きません。
これから暖かな春を迎え、新たな人生の第一歩を踏み出す方々も多いことでしょう。平坦な道ばかりではなく、石ころだらけの道かもしれない。つまづき転んで痛い思いをするかもしれない。時には疲れて振り向きたくなる時も立ち止まってしまいたくなる時もあるでしょう。しかしその人が乗り越えられない試練を神仏は与えません。その人の努力によって必ず乗り越える事ができるはずです。
そう前向きに考え生きていくところに、よりよい人生が形づくられていくものと私は確信いたします。(尼僧 鈴木日宣/撮影:瀧誠四郎/SANKEI EXPRESS)
7年間社会人を経験したあと内田日正氏を師として26歳で出家。日蓮宗系の尼僧となる。現在は千葉県にある寺院に在住し、人間界と自然界の間に身をおきながら修行中。