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【東日本大震災3年】不明の妻「この手で見つけてやりたい」 潜水士資格を取得 高松康雄さん

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【東日本大震災3年】不明の妻「この手で見つけてやりたい」 潜水士資格を取得 高松康雄さん

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津波で流された妻を捜すため潜水士の資格を取った高松康雄さん=2014年3月2日、宮城県石巻市(石井那納子撮影)  東日本大震災による死者は1万5884人、行方不明者は2633人(警察庁調べ、3月10日現在)に上る。各地の警察は捜索や身元確認を懸命に続けているが、この1年で減った不明者数は35人。宮城県女川町の高松康雄さん(57)の妻、祐子さん=当時(47)=も津波にのまれ、行方は分からない。「この手で見つけてやりたい」。自らを奮い立たせ海に潜る決断をした。

 よみがえる悔しさ

 桃の節句を翌日にした3月2日、石巻市の狐崎(きつねざき)港。春の訪れはまだ遠く、小雨の中に雪が交じる。水温6度。ウエットスーツに身を包み、20キロを超える装備を背負い、海に飛び込んだ。

 2月に潜水士の国家試験をパスしてから初めての沖に出ての練習。きちんと勉強してきたはずだが、なかなか沈まない。

 およそ15分後、インストラクターの指導でようやく潜れた。がれきのようなものは見当たらず、「穏やかな海に戻っていた」。かすかな安心感を得た。一方で、「海の中でも震災の記憶がなくなっていく」と、不意に悲しみがこみ上げてきた。妻はどこにいるのか。「もっともっと練習しなきゃ」

 7つ年下の祐子さんとは、お見合い結婚だった。1男1女を授かり、「人並みの幸せ」を2人ですごした。定年を迎え、新年度からバスの運転手として再就職する前で、「これからはまたのんびりドライブや旅行でも楽しもうね」と、2人で話をしていた矢先に震災が起きた。

 祐子さんはパート先の女川湾近くの銀行の支店にいた。支店の目の前は山で、中腹には4階建ての病院もある。がれきに阻まれ、支店にはたどり着けなかったが、遠くからでも病院の明かりは確認でき、無事を信じて疑わなかった。

 だが、病院に妻の姿はなかった。避難者らに聞けば、行員らは2階建ての支店屋上にいて流されたという。「どうして山に逃げなかったんだ」。今でも、悔しさがよみがえってくる。

 携帯の電源を入れると…

 震災前は仕事から帰ると、2人で杯を交わすのが楽しみだった。「帰ってきたときが、一番寂しさがこみ上げますね」。それでも「自分は負けない」と前を向いてきた。その理由が支店のがれきの中から見つかった祐子さんの携帯電話にある。

 どうせ津波で駄目になっていると思い、墓に納めた。昨年(2013年)3月、墓の改修で取り出しふと電源を入れてみた。ほとんど傷のない液晶画面に光が差した。自分宛ての届かなかった一通のメールが残っていた。

 《津波凄(すご)い》

 送信の時刻は、午後3時25分。足元まで津波が迫っていたはずだ。「不安でどうしようもなかったでしょうね」。胸が詰まり、絶対に見つけてあげたいという思いを強くした。それからおよそ1年後、潜水士の国家資格を得た。

 携帯電話には届かなかったメールの直前に祐子さんが送ったもう一通の記録もあった。

 《大丈夫?帰りたい》

 画面を見つめた目が和らいだ。「きっと帰してあげるよ」(森本充、石井那納子/SANKEI EXPRESS

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