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社会
【東日本大震災3年】被災地再訪(1) 仲良しの二人 別々の場所で成長
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震災後に離ればなれになってしまった安斎紅歩(くれあ)さんと黒沢風空(ふうあ)さん。今では年に数回しか会えないが、一緒に遊べる日に思いをはせながらお互いへのメッセージを元気に掲げた=2014年2月22日、福島県伊達郡川俣町(左、松本健吾撮影)、山形県山形市(右、鴨川一也撮影) 3月11日で東日本大震災の発生から丸3年を迎える。今も26万7000人が避難生活を続けている。ペースはさまざまだが、復興への取り組みは着実に進む一方、被災地への関心が薄れる「風化」現象を憂慮する声もあがる。震災直後に産経新聞社の取材に協力してくれた人々を再び訪ね、今の気持ちをメッセージに込めてもらった。
「かえってきたらあそぼうね」「またいっしょにおとまりして歌おうね」
福島県川俣町の安斎紅歩(くれあ)さん(10)=小4=と、山形市に住む黒沢風空(ふうあ)さん(8)=小2=が2月22日、約160キロ離れた2つの場所でお互いを思ってメッセージを空高く掲げた。
母親同士が姉妹のいとこにあたる。ともに川俣町に住み、小さいころから鬼ごっこや缶蹴りなどをして遊ぶ仲良しだった。震災に続いて起きた東京電力福島第1原発の事故で、家の近くで自衛隊の復興支援車両を頻繁に見かけるようになった。
そこで、2人は段ボールに「ありがとう 毎日毎日 ごくろうさん」と書いて、第1原発方面へ至る国道114号沿いで車両がやってくるのを待ち構え、メッセージを掲げるようになった。時には手を振ったり敬礼のまねごとをしたりとおちゃめな一面も見せた。車両に乗っていた隊員はどんなに力づけられたことだろうか。
メッセージの掲出は段ボールがぼろぼろになるまで2カ月近くも続けられ、その後、風空さん一家は震災の1カ月前に生まれた妹(3)のため、川俣町から山形市へと移り住んだ。
今ではお盆や正月など、年に数回しか会うことができない2人。友人も増え、新しい生活にも慣れた風空さんだが「川俣に戻りたい」と漏らすこともあるという。紅歩さんは「遊び相手がいなくなって寂しい。早くまた会いたいな」と話している。
≪福島県伊達郡川俣町 安斎紅歩さん(10)/山形県山形市 黒沢風空さん(8)≫
震災後に離ればなれになってしまった安斎紅歩(くれあ)さんと黒沢風空(ふうあ)さん。今では年に数回しか会えないが、一緒に遊べる日に思いをはせながらお互いへのメッセージを元気に掲げた。(2014(平成26)年2月22日)
震災当初、自衛隊の復興支援車両が通るたびに仲良く並んで感謝のメッセージを掲げていた安斎紅歩(くれあ)ちゃんと黒沢風空(ふうあ)ちゃん。(2011年5月24日、福島県伊達郡川俣町)
≪宮城県名取市 小岩岬さん 見上愛輝さん 岸野康太郎さん(いずれも高3)≫
2011(平成23)年5月24日、ビニールハウスの仮設練習場で「宮農ボクシング部はあきらめません!!」と書いた宮城県農業高校ボクシング部。2013年末に完成したリングの上で「最悪な環境で最高の三年間」と笑顔を見せた。
≪岩手県宮古市 三田地大毅さん(16)≫
2011(平成23)年4月21日当時は、宮古一中(1年生)の野球部だった仲間と「思い切り野球がしたい」と書いてくれた三田地大毅さん。現在は宮古高校に進学し、甲子園を目指して毎日厳しい練習を続けている。(2014(平成26)年2月11日)
≪岩手県大船渡市 宮原怜奈さん(12)≫
家族の協力で仮設住宅での生活を乗り越え、震災から一年半後には、元の場所に新しい家が建ち、大声で笑い会える環境を取り戻した宮原伶奈さん一家。震災後の2011(平成23)年3月31日には「流された家を返せ!」というメッセージを書いた。(2014(平成26)年2月8日)
≪宮城県石巻市の大川小学校 平塚なおみさん(40) 夫の真一郎さん(48)≫
大川小学校で当時6年生だった長女の小晴さんを亡くした。将来、学校の先生になることが夢だったという。「娘が果たせなかった夢を私がかなえたい」。そんな思いから中学校の英語教諭だったなおみさんは昨春から職場復帰した。行方不明の4人全員が見つかるまであきらめない気持ちは今も変わらない。(2014(平成26)年2月19日)
≪宮城県本吉郡南三陸町 渡辺健太郎さん(21)≫
2011(平成23)年5月12日の震災直後には、がれきの中にテントを張って営業する両親が経営するコンビニエンスストアを手伝い、「早くもとの生活に戻りたい」とメッセージを書いた。しかし、震災を機に進学を断念し、店を継いで店長に就任。3年経った今でも仮設店舗での営業が続くが、昨年(2013年)5月からは24時間営業再開にこぎつけた。「人手が足りずに大変な面もあるが、お客さんの感謝の声を励みに頑張っている。地域の人のために役立ちたい」。次は実店舗を建てるのが目標だ。(2014(平成26)1月27日)
≪宮城県亘理郡亘理町 斉藤優真君(11) まつ子さん(65) 愁斗君(9)≫
2011(平成23)年5月13日には、避難所で「一生イチゴ作りをして田畑を作って暮らしていたかったです」と訴えた。震災で自宅が全壊し、今は仮設住宅に。ハウスや農業機具も流され、イチゴ栽培からの引退を決断。斉藤まつ子さんは「家族全員で囲める大きな食卓がないのが残念です。少しでも早く、元の家のあった場所に戻ることを励みに暮らしていきたい」と胸の内を漏らした。(2014(平成26)年2月10日)
≪福島県二本松市 鴫原武夫さん≫
2011(平成23)年4月6日には、「死ぬまでやるよ!ちちしぼり」と宣言。原発事故の影響で出荷停止になり、搾った生乳を畑に捨てていたこともあったが「負けないぞ!」と、3年後の今も酪農を営んでいる。(2014(平成26)年2月22日)(SANKEI EXPRESS)