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天使から少女になる瞬間とらえる 回顧「バルテュス展」

 パブロ・ピカソをして、「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家、バルテュス(本名・バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、1908~2001年)の死後初めての回顧展が、東京都美術館で開幕した。裸の少女を描く刺激的なモチーフと、古典的なイタリア絵画を思わせる具象の画法で、バルテュスは何を描きたかったのか、もう一度考えてみたい。

 展示会場で、ひときわ目立つのが、少女を描いた絵だ。「キャシーの化粧」「夢見るテレーズ」「鏡の中のアリス」「美しい日々」は、長辺が1.5メートルを超える大作。描かれた少女も等身大に近く、鑑賞者は、画面内部に入り込んでいけそうな錯覚を覚える。

 少女の表情は、ある時は夢見るように、ある時は瞑想するように、ある時は不機嫌そうにそっぽを向く。見る者を誘うように蠱惑(こわく)的なポーズをとったり、あられもない裸でいることをまるで意識しないかのようだったり…。

 完璧な美の象徴

 バルテュスは少女を描くことについて「バルテュス、自身を語る」(聞き手・アラン・ヴィルコンドレ、鳥取絹子訳、河出書房新社)で、こう述べている。

 「人は私が描く服を脱いだ少女たちをエロチックだと言い張りました。私はそんな意図を持って描いたことは一度もありません、少女たちを話のたねにしようなどと思ったことは決してない。いや、その反対、私は少女たちを沈黙と深遠の光で囲み、彼女たちのまわりに目がくらむような世界を創りだしたかった」

 さらに「私が心を奪われているのは、天使から少女になるゆっくりとした変化、私が通過と呼ぶこの瞬間をとらえること…」と打ち明ける。

 バルテュスにとって少女は「この上なく完璧な美の象徴」だった。「猫たちの王」を自認していたバルテュスは、礼讃する少女の側にしばしば猫の姿で登場する。

 成長とともに崩れ去る

 しかし、完璧な美は少女の成長とともに崩れ去る。天真爛漫で幸福な日々も、いつまでも続かない。少女たちはやがて悲恋にうちひしがれ、結婚で“堕落”し、貧困に苦しむかもしれない。

 深読みすれば、第一次大戦時、ドイツ国籍のために一家がフランスを退去させられ、第二次大戦では、アルザスの兵役で負傷したバルテュスは、美しくも幸福な暮らしは、あっけなく奪われることを知っていただろう。

 だから、バルテュスの絵は、けっしてのんびりとした空間を描いていない。緊張感に満ちた構図や人物のポーズには、次の瞬間、何が起こるかわからない不穏さが秘められている。

 今回は展示のない「街路」や「山(夏)」では顕著だが、登場人物はだれも目を合わさず、どこか挙動不審だ。刺激的な美と不安さ、そして伝統的な絵肌や色調が同居する作為的な画面は、鑑賞者の心に突き刺さり、記憶に根を下ろす。

 前衛には背を向け

 バルテュスは「孤高の画家」と呼ばれる。独自で絵を学び、ピカソやサルバドル・ダリらと交わりながら、キュービスムにもシュールレアリスムにも背を向けて、最後まで具象を貫いた。

 拾った猫との触れあいを描いて「ミツ」として出版したのは、わずか13歳、エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」の挿絵を描いたのは24歳ごろ。展示されている、これらの作品を見れば、若くして卓抜したデッサン力を備えていたバルテュスが、持てる才能を投げ捨て抽象画に走る必要はなかったし、「流行(前衛)はいつか古びる」ことを鋭敏な臭覚で感じ取っていたとも思えてくる。

 しかも、資産にも恵まれ、いわゆる「売り絵」を生活の糧にする必要もなかった。10年もかけて1枚の絵を納得するまで仕上げていくような豊かな時間や良質感が、画面からうかがえるのももう一つの魅力につながっている。

 熱狂的なコレクターが所有しているケースも多く、作品は世界に散逸し、回顧展開催は容易でない。今回は日本初公開の作品が並ぶほか、晩年の四半世紀、他人を入れずに終日過ごしていたアトリエも再現。「居心地のいい空間をバルテュス自身がどう作っていたのか、自然光をどれだけ重視していたのかが、よく分かる」(小林明子学芸員)という。

 バルテュスは「自身を語る」で、「美術館に殺到する群集が絵を見るわけがない、本当の出会いがあるはずはない」と述べ、大規模な展覧会には否定的だった。カンバスの裏側に広がる秘密の世界に入り込めるかは、鑑賞者次第だろう。(原圭介/SANKEI EXPRESS

 ■Balthus パリ生まれ。バルテュスは幼少からの愛称。1921年、絵本「ミツ」を刊行。25年、イタリアを旅行しルネサンス期のピエロ・デッラ・フランチェスカの壁画を模写。31年、モロッコで兵役。33年、「嵐が丘」の挿絵を描く。39年、アルザスで兵役。61年、ローマのアカデミー・ド・フランス館長。2001年、死去。享年93。

 【ガイド】

 回顧「バルテュス展」は6月22日まで、東京都美術館(東京都台東区上野公園8の36)。その後、7月5日から京都市美術館でも開催予定。

 一般1600円、大学生1300円、高校生800円、65歳以上1000円。(電)03・5777・8600(ハローダイヤル)。

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