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いまこそ日中の「中国史」を比べなさい 「中国人による中国史」と「日本人による中国史」は何が異なるのか 松岡正剛
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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)
最近の中国と日本の首脳関係は、ぎくしゃくしたままである。尖閣諸島付近の海域にも哨戒機が飛び交う航空域にも、緊張がたちこめている。それとともに両国の歴史観の食い違いが目立ってきた。
中国と日本は、風土も言葉も異なる国で、まったく別の歴史を歩んできた。そうなったのは日本海が陥没して、大陸と日本列島が切り離されてからである。だから縄文土器のような土器は、中国には出ていない。それでもその一方で、仏教文化圏・儒教思想圏・漢字文化圏が、軽重さまざまな連なりを見せてきた。ところが近代以降、両国は戦乱と対立の関係に突入し、以来、歴史観に著しい対比があらわれたままになっている。
ここに二つの中国史全集がある。中国歴史学による『中華文明傳真』全10巻と、日本の中国史研究者が1巻ずつを執筆した『中国の歴史』全12巻(講談社)だ。前者は『中国文明史』(創元社)という日本語訳がある。読みくらべてみると、たいへん興味深い。
最近の中国側の歴史像は大々的な発掘の連打によって、めざましい変化を見せている。幻の夏王朝の全容や春秋戦国の細部が見え出しただけではない。宋代や明代の遺跡や文物や文書も続々と掘り出された。『中国文明史』もそれらの成果を存分に投入して構成してあった。そのためか、そうとう自信に満ちた叙述になっている。
中国人の歴史観には、王朝の栄枯盛衰や地域の民衆社会の興亡を、できるだけ未練をもたないで見るという特色がある。これに対して、日本人の歴史観にはどこかに「無常」が入る。この違いは両国の近現代史の語り方に大きな差異をもたらした。二つの全集の記述にもその相違があらわれた。
たとえば日清戦争前後について、『中国文明史』は「塞外の民(清)が長城を越え、中華の文明の集大成を遂げようとして、王朝最後の輝きを放った」と見る。何が序列を取ろうとしたかが、歴史の目になっているのだ。一方、日本版『中国の歴史』では、「列強のアジア進出に日本が呼応して、海の近代史に異質の表情を与えた」というふうになる。見方がすこぶる相対的なのだ。
もっと特徴的なのは、『中国の歴史』最終巻は「日本にとって中国とは何か」になっていて、相互関係から歴史をみようとしていることだ。歴史学としては公平な目であるが、おそらく中国側がこれを読んでも大きな共感は涌かないだろう。
序列から見るヘゲモニー重視型の歴史観と、相互関係から見るハーモニー補充型の歴史観。どちらが説得力があるかではない。二つは21世紀にどう融合できるかだ。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)
01「先史・文明への胎動」
02「殷周・文明の原点」
03「春秋戦国・争覇する文明」
04「秦漢・雄偉なる文明」
05「魏晋南北朝・融合する文明」
06「隋唐・開かれた文明」
07「宋・成熟する文明」
08「遼 西夏 金 元・草原の文明」
09「明・在野の文明」
10「清・文明の極地」
01「神話から歴史へ(神話時代 夏王朝)」
02「都市国家から中華へ(殷周 春秋戦国)」
03「ファーストエンペラーの遺産(秦漢)」
04「三国志の世界(後漢 三国時代)」
05「中華の崩壊と拡大(魏晋南北朝)」
06「絢爛たる世界帝国(隋唐時代)」
07「中国思想と宗教の奔流(宋朝)」
08「疾駆する草原の征服者(遼 西夏 金 元)」
09「海と帝国(明清時代)」
10「ラストエンペラーと近代中国 (清末 中華民国)」
11「巨龍の胎動(毛沢東VS●(=登におおざと)小平(とう・しょうへい))」
12「日本にとって中国とは何か」