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私を叩きのめした一冊 乾ルカ

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私を叩きのめした一冊 乾ルカ

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札幌のアートスポット、「北海道立近代美術館」。このときは、ミュシャ展をやっていました=2014年5月30日、北海道・札幌市中央区(乾ルカさん撮影)  【本の話をしよう】

 今回、あらためてこのコラムのコーナー名を振り返ってみました。

 『本の話をしよう』。

 本の話であれば、なんでもいい、とても自由な感じがします。そうか、なんでもいいのか。

 それでは、若いころの私を叩きのめした、忘れられない本の話を、今回はしたいと思います。

 遅れてきた中二病

 白状します。

 若いころ、自分を「本をたくさん読んでいるキャラ」に設定しようと試みた時期がありました。なに一つ取り柄がなくて、自分を表す記号みたいなものも当然ない現状が、情けなかったためです。

 毎日書店へ行き、毎週図書館にも行き、小説から料理のレシピ本まで、とにかく読みあさる。

 たぶん、おのれを知的な人間に見せかけたかったのだと思います。まったく、恥ずかしいことです。若いころと書きましたが、これが中学生ならまだ、若気の至りでぎりぎり許されたかもしれません。でも私がそんなキャラ設定に走ったのは、成人してからなのです。まさに10年遅れてきた中二病。しかも、やっていること自体(読書)は、特別なことでは全然ないという情けなさ。履歴書の趣味の欄レベルです。でも当時はそんな自分の痛さに気づけずにいました。

 三歩進み五歩下がる

 自分にない知的さを求めていくと、自分の知的レベルには合わない本にも手を出してしまいます。「こんな本読んでいる自分すごい」と、悦に入りたいのだから、当然の流れとも言えます。

 『死に至る病』(セーレン・キェルケゴール)は、最寄り駅の貸し出し図書コーナーで見つけました。利用者が読みたい本を勝手に持ち出し、読み終えたら戻す、そんな大らかなシステムの棚に、小ぢんまりとありました。文庫サイズで、思いのほか厚みもなかったように思います。

 高校の倫理の授業で、著者名と著作名は知っていました。ちょっと哲学的な思考にも触れてみたかった私は、それを借り受けました。

 文字のポイントがものすごく小さかったのがまず印象的でした。なんだかそれだけで、すごく難しそうな本を手にした気になるから単純です。

 でも最初から、なんといいますか、私の脳みそでは処理しきれないものがありました。文字を読むには読めます。けれども、それを咀嚼(そしゃく)し、しっかりと理解することができないのです。文字だけを追って何行か進み、「やっぱりちょっと待って」とまた戻って読み直す。三歩進んで二歩どころか五歩下がる。ちっとも読み進めることができません。そんな馬鹿な。一応倫理の成績は、そこそこ良かったはずなのに。

 そんな馬鹿なって、高校の授業基準で考えているところがもう、いろいろ間違えていますが…。

 通勤電車の中で読み、眠気を催し、寝る前にまた開き、1ページもめくれずに就寝。2週間くらい頑張りましたが、やがて敗北を認めざるを得ないと、悟りました。

 というわけで、『死に至る病』ですが、当然のように読了できませんでした。たしか13ページまでしか、読み進められなかったと記憶しています。こんな序盤も序盤でと、自分でもがっかりしましたが、頭がついていかないのだからどうしようもありません。

 この難しい本は、この界隈のどなたが寄贈したのだろうと思いつつ、棚にそっと戻しておきました。

 13ページで中断。

 これは、私が今までで読了できなかった本の中での、最短記録です。この屈辱をきっかけに、私は知的キャラを目指す乱読はやめました。

 死ぬ前に再チャレンジ

 教養として読みこなせている大学生、もしかしたら賢い高校生もいるかもしれない『死に至る病』。私には荷が重すぎましたが、それでも今なお、読了できなかったことを残念に思っています。もっとちゃんと勉強し、思索する力を持ち、いつかまた、死ぬ前にチャレンジしてみたいです。そして、今度は少しでも理解を深めたい。それが自分に合うか合わないかは別として、新しい思想や論理を知ると言うことは、新しい人に出会ったり、新しい世界を知ることと似ています。年月を経て再読することにより、自分自身の変化も実感できるかもしれません。

 冴えない自分をよく見せるための、よこしまなツールとしてではなく、純粋な知的探求として、きちんと準備をし、読了にたどり着きたいです。(作家 乾ルカ/SANKEI EXPRESS

 ■いぬい・るか 1970年、札幌市生まれ。銀行員などを経て、2006年『夏光』で第86回オール讀物新人賞を受賞してデビュー。10年、『あの日にかえりたい』で第143回直木賞候補、『メグル』で第13回大藪春彦賞候補となる。12年、『てふてふ荘へようこそ』がNHKBSプレミアムでドラマ化された。近刊に『モノクローム』。ホラー・ファンタジー界の旗手として注目されている。札幌は市在住。

「死に至る病」(セーレン・キェルケゴール著/岩波文庫、780円+税)

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