ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
国際
「英雄」辞任 ウクライナ東部情勢に変化
更新
ウクライナ東部の親ロシア派勢力から、ロシア人幹部が相次ぎ辞任している。そのなかで、特に注目されたのがロシア連邦保安局(FSB)出身とされるイーゴリ・ストレルコフ氏(43)だ。ストレルコフ氏は、親露派勢力「ドネツク人民共和国」の「国防相」を務め、ウクライナ政府軍との戦闘を指揮したとされる。その辞任は、ロシア政府が親露派から距離を置き始めた事実を示唆しているとの指摘もある。
現地報道によると、ストレルコフ氏はロシア国籍で、本名は「イーゴリ・ギルキン」。モスクワ郊外に在住し、地域でもあまり目立たない人物だったという。
しかし、その素性は全く別のものだったようだ。ロイター通信によると、ストレルコフ氏は自らがFSBの大佐だったことを認めており、これまでもモルドバの沿ドニエストル地方での親露派住民運動や、第一次、第二次チェチェン紛争、コソボ紛争など、ロシアの権益が密接に絡む紛争などに関与してきた。
「ロシア周辺で紛争が起きた際に、真っ先に駆けつける義勇兵のような存在」(日本のウクライナ情勢専門家)とされ、ロシアでは彼の写真を掲げたTシャツやマグカップが売られるなど、言わば「英雄視」されている人物だ。
またウクライナ保安局は、ストレルコフ氏を「ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)の特殊部隊将校」だとも分析している。
ロイターによると、ストレルコフ氏がウクライナに本格的に関わったのは今年2月下旬、クリミア半島で謎の武装集団が議会を占拠したときのことだという。ストレルコフ氏は武装集団の一員として作戦を指揮し、結果としてロシアによるクリミア併合の立役者となった。その後、ウクライナ東部の作戦に関与し、ドネツク人民共和国の国防相に就任した。
しかし、東部の戦線は徐々にウクライナ軍が優勢となる。ストレルコフ氏は親露派の重要拠点、スラビャンスクで指揮を執っていたとされるが、7月4日前後の戦闘で親露派はスラビャンスクを明け渡し、親露派内でもストレルコフ氏の評価が落ちた。
さらに打撃となったとみられるのが、7月17日のマレーシア機撃墜事件だ。報道によると、ストレルコフ氏は、ギルキンの名前で登録したソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で、マレーシア機が撃墜された直後に「軍用機を撃墜した」と書き込み、すぐさま消去したとされる。これが、親露派がマレーシア機を撃墜した証拠だと、各国のメディアで報じられた。
その後も親露派を取り巻く状況は悪化し、ついにルガンスク州とドネツク州の支配地域は分断されるに至った。そして8月14日、ストレルコフ氏と、ルガンスク州の親露派組織を率いていた人物が同時に辞任を発表した。
ストレルコフ氏は、重傷を負ったとの情報もあるが、他の親露派幹部はそれを否定するなど、真相は闇の中だ。すでに8月中旬に、秘密裏にロシアに帰国したとの報道もある。
ストレルコフ氏の辞任は、作戦の変更などとの指摘もあるが、ウクライナの親露派を事実上支援してきたロシアの姿勢の変化との見方が有力だ。露経済紙RBKは「短期間での人民共和国のリーダーの交代は、モスクワ(ロシア政府)がウクライナ東部で起きている事態から距離を置こうとしていることの表れ」とし、親露派への関与を減らそうとしているロシアの意向が働いているとした。
ロイターは、親露派に参加するロシア兵とFSB司令官の会話とされる録音で、ロシア兵が地元の親露派を「何もしていない」などと罵(ののし)り、さらに「ドネツク人民共和国は最短で1カ月しかもたない」などと述べた事実を明らかにした。(国際アナリスト EX/SANKEI EXPRESS)