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夏の切なさに感じる「終わり」の匂い 乾ルカ
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ベランダの朝顔。もう夏の終わりという感じで咲いていました=2014年8月18日、北海道札幌市(乾ルカさん撮影)
夏という季節につきまとう『切なさ』は、いったいなぜなのでしょう。陽光は強く影は濃く、木々の緑も眩しい。暑さを歓迎するように虫は鳴き、日中から子供が元気に自転車をこいでいく。普段は行かないところに遊びにいく。冷たい飲み物はおいしくて、ときどきおやつに茹でトウキビを食べる。夜には花火が上がったりする。とても明るく、自由で開放的で、楽しいはずなのに。
いや、楽しいからこそなのかもしれません。お祭りと同じですね。前夜祭が一番わくわくするみたいなもので、本格的に楽しい領域に足を踏み入れてしまうと、あとはもう、終わりのときが刻々と近づくばかり。うだるような暑さにとろけた水あめみたいになりながら、この暑さもいつか終わるんだと、明るい陽射しを浴びても、この明るさはたぶん一か月の後にはないと思ってしまう。
とりわけ北海道は冬が長く、言い換えれば夜が長いので、陽が日々短くなることが、言い知れぬ悲しさを募らせるのです。
夏休みの特別感も『切なさ』に繋がります。正直な話、決められた時間、学校に拘束されるより、束縛から解放される休みの期間のほうが、子供だっていいに決まっているのです。でも、心待ちにした夏休みの開始は、始業式へのカウントダウンの開始でもあります。この日々が終わらなければいいと願いながら迎える始業式。ああ、やっぱり終わらないものはないんだと、子供心に無常感を覚えた方は、多いのではないでしょうか。
夏の『切なさ』には、ものごとの終わりの匂いがします。
子供時代の自分がすごした夏を思い返すと、やはり他の季節より、いろいろな経験をした気がします。気のせいかもしれませんが。夏の出来事というのは、どうしてああも鮮やかに記憶に刻まれるのでしょうか。太陽の光が眩しくて、地面に落ちる自分の影が、あまりに黒々としているからでしょうか。とても明るいものを無理に目にしたときのように、網膜に残像が刻まれるみたいに。
私の母方の実家は農家で、小学生のころは毎年夏休みに遊びにいきました。遊びにいくといっても、2日3日のことではありません。1週間以上は普通に滞在していた記憶があります。だから親はつき合いません。実家には年の近いいとこが集結し、毎日飽きもせず一緒に遊びました。農繁期なのだから、少しは手伝えばいいのにと、今なら思いますが、遊びがすべてに優先しました。手伝いどころか、ビニールハウスで大事に育てているトマトを勝手にもいで食べ荒らしたりしていました。釣りにもでかけました。畑の向こうにある川から流れてきたミンクの子を拾ったので、餌にするものを捕りたかったのです。体中を蚊に刺されて、40度の高熱を出したこともありました。あのときは、子供心に「自分はここで死ぬんだ」と思いました。
いとこ同士で遊ぶだけではなく、一人で用水路を泳ぐ小魚を小さな鍋ですくったりもしました。すくった小魚は、熱く焼けた鉄板の上に、水ごと流しました。水は熱で瞬時に蒸発し、魚はあっという間に生干しのようになりました。実家のアイヌ犬に与えると、喜んで食べました。
今は廃線になったJR-当時は国鉄でしたが-の単線が畑を貫くように走っていて、めったに列車が来ないそこを歩くのも好きでした。ホームだけの無人駅が近くにあって、その周りには少し背丈の高い、細くとがった葉を持つ草が生えていて、赤茶けた石とレールが右を見ても左を見ても続いている。石もレールも夏の陽を受けて熱を溜めこみ、ゆらゆらと陽炎が燃えたっている。そこでしゃがんで枕木や石を延々いじって一人遊びをしても、誰にも怒られませんでした。本当にめったに列車は通りませんでしたし、昼間の大人は忙しく、私に構う暇などなかったのです。
夏草と強い陽射し、山と畑と緑の匂い。ずっと夏が続けばいいと思いながら、そうは決してならない現実が、私を悲しませました。祖母、叔父叔母、いとこたち、それから夏の空気。具体的になにをと言い表せないところがもどかしいのですが、それらは私にさまざまなことを教えてくれた気がします。夏を越すたび、少しずつ私の中で、なにかが変わっていったのです。
本の話なのに、長々と夏の思い出を書いてしまいました。
『夏の終りに』(ジル・ペイトン・ウォルシュ著、百々佑利子訳)を読んだからだと思います。(作家 乾ルカ、写真も/SANKEI EXPRESS)