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【上原浩治のメジャーリーグ漂流記】全て自分の責任 「ぶれない心」大切

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【上原浩治のメジャーリーグ漂流記】全て自分の責任 「ぶれない心」大切

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米マサチューセッツ州ボストン  プロという職業は、野球に限らず、何を語ったところで言い訳にしか聞こえない。だから、すべてを自分自身で受け止めてきた。プロ野球人生を歩んだときからずっと変わらない信念は、結果はすべて「自分の責任」ということだ。

 今季、終盤は不調で、戦力になっていないと自分自身がわかっていた。苦しくても、自分のやるべきことをやるしかない。そう痛感した。

 走って、投げて、ウエートトレーニングをして…。ありがたかったのは、ジョン・ファレル監督に自分の思いをぶつけたとき、それを受け入れてくれたことだ。チームの成績が低迷している中で、クローザーを酷使する必要はないという考えもあり、残り試合を休養する案もあった。だけど、逃げずにマウンドに上がりたいと訴えた。その気持ちをくみ取ってくれた。

 優勝争いに加わっていない状況から、モチベーションがわかないんじゃないかという推測による報道があった。断じてそんなことはなかった。

 逃げるつもりは毛頭なかった。今季は契約最終年でもあった。監督をはじめ、現場の首脳陣の思惑とは異なり、移籍することだってあり得る。ならば、自分のことは、自分でけじめをつける。抑えではなく、中継ぎから出直す。このことは、やられた悔しさを何倍にもして返すために決めたことだった。

 シーズン中の大異動

 改めてメジャーリーグの厳しい現実を目の当たりにさせられたシーズンだった。

 昨季のワールドシリーズを制した球団が、少し歯車がずれると一気に順位を下げる。そして、一緒に歓喜を味わった選手たちは…。開幕前のメンバーから解雇を含めて10人以上がチームを去った。先発ローテーションの顔ぶれもすっかり変わってしまった。

 オリオールズ時代に4番とエースの放出を経験したが、そのことに匹敵するくらいの衝撃があった。

 冷静に考えれば、何も特別なことが起きたわけではない。メジャーでは、「生え抜き」と呼ばれる選手はほとんどいない。チームの事情や自身が手にしたフリーエージェント(FA)の権利行使によって、毎年のように選手たちが移籍の選択に迫られる。

 リーグ優勝が望み薄になったチームが、即戦力を必要とする上位チームに高年俸のレギュラー級を容赦なく放出し、代わりに有望な若手を手にする。トレード期限終了となる7月末は特に移籍市場が騒々しく、メディアの報道も熱気を帯びる。今シーズンように自分の名前が紙面に出ることもある。そんな状況でも、試合に臨まなくてはならなかった。

 変化恐れず、適応を

 シーズン中のトレード経験は自分にもある。2011年にオリオールズからレンジャーズへトレードで移籍した。在籍していたチームから離れ、新たなチームでの環境に慣れなくてはならない。これが難しい。

 最初の経験だったので、「また一からやり直さなくてはならない」と、勝手に自分で思い込んでいた部分もあった。ただ、チームの方針に多少の違いはあるが、心の中まで変える必要はないというのが自分の考えだ。確かにトレードで移籍したときは、転校生みたいな感じがした。しかし、チームに溶け込むことへの意識が強すぎてしまうと、プレーに影響してしまうこともある。

 野球の世界に限らず、新しい環境に慣れるには、時間がかかるものだと思う。

 ずっと同じチームや仲間とプレーできることも素晴らしいけれど、いろんなチームや選手と野球を経験することも悪くはない。刺激を求めて、新しいことにチャレンジするという意味でも、経験や財産として残るだろう。

 日本でも同業種の中で転職をする人にとどまらず、これまでの経験を生かして全く違うフィールドに新たな働く場を求める人も増えていると聞く。「変化」を恐れなければ、違う環境に適応できる力も養われていくはずだ。大事なのは「心」。そこがぶれないことだ。(レッドソックス投手 上原浩治/SANKEI EXPRESS

 ■うえはら・こうじ 1975年4月3日、大阪府生まれ。1浪して入学した大阪体育大時代に才能が開花。3年時に日本代表に選ばれ、国際大会151連勝中のキューバから白星を挙げる。99年にドラフト1位で巨人に入団。1年目に20勝を挙げて最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率と史上10人目の「投手4冠」を達成し、新人王と沢村賞を受賞する。その後は巨人のエースとして活躍したほか、日本代表として2004年アテネ五輪で銅メダル、06年ワールド・ベースボール・クラシックで優勝に貢献。09年から米大リーグに移籍し、今季が6年目。

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