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「清貧」伝える聖人の街 イタリア・アッシジ
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聖フランシスコが眠るアッシジの聖フランシスコ大聖堂。秋でも多くの訪問客でにぎわっていた=2014年10月11日、イタリア・ウンブリア州アッシジ(宮下日出男撮影)
ローマ法王フランシスコ(77)が誕生して1年半余り。弱者に寄り添う姿は大きな支持を集め、今年はノーベル平和賞受賞者候補にも有力視された。「質素な教会」「貧者のための教会」を掲げる法王の思いは、「清貧」を重んじて広く慕われた「聖フランシスコ」から名前を選んだことにもうかがえる。法王が範とする中世の聖人ゆかりの地、イタリア中部アッシジを訪ねた。
ローマから北東へ約200キロ、牧歌的な風景を眺めながら、車で2時間余り向かうと、緑に囲まれた山腹に広大な石造りの街並みが出現した。標高約500メートルに要塞のように築かれ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録されている街、アッシジだ。
街の起源は紀元前1000年頃に遡(さかのぼ)るとされる。古代イタリアの主要部族の一つ、ウンブリア人が集落を築いたことに始まり、その後、ローマ人の支配下に入った。中世にはこの街で生まれた聖フランシスコ(1182~1226年)の活動により、キリスト教の重要な聖地の一つとなった。
車1台がやっと通れるような狭い石畳の路地を進むと、「聖フランシスコ大聖堂」がそびえ立っていた。聖フランシスコを記念するため、その死後である1228年に建立された。聖堂には聖フランシスコの墓も設けられている。
「現法王になってから、“観光シーズン”がなくなった」。聖堂内のある守衛がこぼすのも無理はない。10月初旬だが、聖堂内には多くの観光客らが訪れており、「訪問客が最も多い夏場と変わらない」という。法王の人気とともに、名前の由来となった聖フランシスコへの関心も改めて高まっているようだ。
聖フランシスコは裕福な商人の息子として生まれ、放蕩(ほうとう)生活を送っていたが、回心し、財産を捨てて信仰活動に入った。清貧を説く修道会「フランシスコ会」を立ち上げたことでも知られる。聖堂内でひときわ多くの訪問客が集まっていたのは、そんな生涯を描いた28枚のフレスコ画のある上層階だ。
脱いだ着衣を父に返して、世俗世界からの別れを誓った場面や、イスラム教徒に福音を伝えるため、イスラム世界の支配者スルタンに面会する場面など、フレスコ画からは、その生涯が生き生きと伝わってくる。有名な「小鳥に説教する聖フランシスコ」からは、神の創造物としての自然を愛する思いがうかがえる。
「われわれの街の聖人が法王の名前に使われるのは、とても誇りだ」。大聖堂近くの土産物店の男性店主(71)はうれしそうに語る。歴代法王で「フランシスコ」を名乗った例はないだけに、現法王がその名前を選んだときは「大きな驚きだった」と振り返る。
「名前には代々、法王が目指す政策が込められている。現法王も名前が持つ意味の通りにやっていると思う」とも男性店主は語った。
ノーベル平和賞受賞者にパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)が決まった直後の10月初旬、バチカンにも足を運んでみた。サンピエトロ広場には多くの人が集まり、周辺の土産物店では笑顔の法王をあしらったTシャツなど、さまざまな関連グッズが店頭を飾っていた。
フランスからバチカンを訪れた男性科学者(52)は「現法王は教会の歴史の新たな1ページを開いた」と評価した上、平和賞については「今後も受賞のチャンスはあるよ」。一方、ある土産店の女性従業員は「法王は人を助けることが努め。それを果たしているだけだから、受賞しなくていいのよ」と笑顔を見せた。(宮下日出男、写真も/SANKEI EXPRESS)