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卑弥呼・平仮名…日本の源流に迫る 考古学 新発見相次いだ2014年
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レプリカの三角縁神獣鏡(男性の手元)から投影された反射光。裏面の文様の突起部などが浮かび上がった=2014年1月、京都市東山区・京都国立博物館(共同) 2014年の考古学界は、邪馬台国論争の鍵を握る三角縁神獣鏡や前方後円墳をめぐり、新発見が相次いだ。沖縄県と富山県では、日本人のルーツに迫る発見も。最古級の平仮名は和歌とされる新説も発表されるなど話題の多い1年だった。
年明け早々、列島を驚かせたのが「卑弥呼の鏡」とも呼ばれる三角縁神獣鏡の製作実験だ。京都国立博物館が最先端の3Dプリンター技術を使い、形や大きさ、金属組成まで実物そっくりに再現。磨き上げた鏡面に太陽光を当てると、壁にまばゆい光のリングが浮かび上がった。
鏡面にできた微細な凹凸によって裏面の文様が映し出される「魔鏡」現象で、三角縁鏡での確認は初めて。中国では紀元前から知られていたという。三角縁神獣鏡は倭国(日本)の女王卑弥呼が中国・魏の皇帝からもらった「銅鏡百枚」との説もあり、邪馬台国の謎に迫る重要な鍵。実験は製作地をめぐる論争に新たな視点を切り開いた。
最古の大型前方後円墳で「卑弥呼の墓」とも言われる奈良県桜井市の箸墓古墳(3世紀中ごろ~後半)。1876(明治9)年に墳丘を撮影した写真と原板が、宮内庁に保存されていることが明らかになった。日本で最古の古墳写真という。
現在は墳丘に樹木が密集しているが、撮影時は木がまばらで、特異な4段構造の墳丘や埋葬施設を覆ったとみられる後円部頂上の巨大な円壇(直径45メートル、高さ5メートル)がくっきり。「箸墓は昼は人が造り、夜は神が造る」という「日本書紀」の記述をほうふつさせた。
沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で、約2万3000~2万年前(後期旧石器時代)に貝で作った鋭利な道具やアクセサリーが出土。さらに9000年前より古い地層から、人骨も発掘された。複数の石に覆われており、国内最古級の埋葬例だった可能性があるという。旧石器時代の貝製品は中東や地中海、中国などで見つかっているが、国内では初。加工しやすい石が少ない沖縄県では、本州の石器に対し、貝を使った独自の文化が発展していたようだ。
一方、縄文時代前期の人骨が91体も出土した富山市の小竹貝塚(約6800年~5500年前)ではミトコンドリアDNAの分析で、ロシアから北海道にみられる北方系と、東南アジアから中国南部に多い南方系の人々が一緒に暮らしていたことが分かった。日本人の祖先を探る今後の調査が注目される。
奈良県明日香村の都塚古墳(6世紀後半)が、石を階段状に積み上げた国内に例のないピラミッド形の方墳と判明した。一辺約40メートルで、当時の天皇陵に匹敵する規模だ。4~5世紀の中国や朝鮮半島の王族墓との類似点が指摘され、仏教を保護するなど外来文化の受容に積極的だった大豪族・蘇我稲目の墓との説も浮上している。
残念なニュースもあった。文化庁はカビなどによる劣化が進み、石室を解体して修復中の国宝、高松塚古墳壁画(奈良県明日香村、7世紀末~8世紀初め)を現地に戻すことを事実上断念した。カビなどを抑制する技術を確立できず、劣化した石材を石室の形に組み直すことも難しいためで、古墳外で保存、公開することを決めた。今後は新たな保存施設が課題になる。
社会情勢や人々の暮らしぶりを知る文字史料も報告された。
京都市の平安京跡では2011年に、貴族の藤原良相邸宅跡で最古級の平仮名を記した土器片(9世紀後半)が出土。判読が困難で意味がよく分かっていなかったが、勅撰和歌集「古今和歌集」にある「幾世しも」の歌-とする新説が発表された。文字の練習に和歌を書いたとみられ、平仮名の成立過程を知る手掛かりになりそうだ。(SANKEI EXPRESS)