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多くの人に彼の存在知ってもらえれば 映画「KANO~1931海の向こうの甲子園~」 永瀬正敏さんインタビュー

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多くの人に彼の存在知ってもらえれば 映画「KANO~1931海の向こうの甲子園~」 永瀬正敏さんインタビュー

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写真家の顔も持つ永瀬正敏さん。「祖父が写真館を経営していました。でもカメラを持ち逃げされ、廃業しましてね。僕は祖父の悔しさも胸に抱いて活動しています」=2014年12月9日、東京都港区(野村成次撮影)  曽祖父は薩摩藩(鹿児島県)の武士で、幕末から明治維新へと連なる激動の時代を腕っ節一本で駆け抜けた猛者だった。その遺伝子を受け継いだ永瀬正敏(48)にとって、戦前の高校野球のスパルタ監督の心情に寄り添い入り込んでいくのは、そう難しいことではなかったのかもしれない。「確かに僕は武士の家系に生まれましたし、ひいおじいちゃんのことも伝え聞いてはいます。でも、実際に会ったことがないので役作りをしようにもイメージがわきません。イメージ作りでは、むしろ写真館を開いていたおじいちゃん(祖父)の姿とか、昭和時代を生きた一般男性の生き方などを参考にしました」。主演を務めた台湾映画「KANO~1931海の向こうの甲子園~」(マー・ジーシアン監督)での役作りについて、永瀬は懐かしそうに振り返った。

 日本統治下の台湾で、日本人、台湾で暮らす漢民族、台湾に元から住む原住民で構成される弱小チーム、嘉義農林学校野球部を台湾代表として5度も甲子園へと導いた実在の野球指導者、近藤兵太郎(1888~1966年)が本作の主人公で、作品は史実をベースに脚色したものだ。

 1929年、嘉義農林は近藤兵太郎(永瀬)を野球部の監督に迎え、夢の甲子園出場を目指すことになった。一度も試合に勝ったことがなく、すっかり負け犬根性が染みついていた部員たちは、はじめは近藤のスパルタ指導に面食らうが、次第に勝利への欲求を強めていき、本気で練習に取り組むようになる。それからわずか2年後の31年、ついに甲子園切符を手にした嘉義農林は、粘り強いプレーで未知の強豪校を次々と破り、決勝戦へとコマを進める。

 当時のあたたかさ忠実に

 永瀬が出演の打診を受けたのは、俳優生活30周年を迎えようとしていた時期で、本作の撮影時期は自身のもろもろの記念イベントと重なっていた。「最初はどうしようかと思いましてね。でも、台本を読んでみて、とても驚きました。『こんな史実を知らなかった』と…。人種の違いなど関係なく、夢や目標に向かって精いっぱい頑張っていた日本人の先輩がいたことを知り、胸に熱いものがこみ上げてきました。多くの日本人に彼の存在を知ってもらえればいいなと考えて、出演を決めました」

 本作の前に出演した映画2本の役作りで意識的に体重を落とした経緯もあり、高校野球の監督を演じるからといって、体を絞ろうとは、とりたてて思わなかった。「衣装合わせのとき、立派な体格をした共演者の若者たちに交じって、自分の姿がヒョロヒョロとやせ細っていては果たしてどんなものかなと考えました。だから、おなかがぽっこりと出るように、むしろ逆のアプローチをしました」。過酷でストイックな生活スタイルを強いられる肉体改造は皆無だったそうだ。

 演じる上で永瀬が特に心を砕いたのは、取って付けたような嘘っぽい振る舞いや演出を排除することだった。永瀬は「登場人物のお孫さんや教え子たちは野球部の活躍を胸に焼き付けていて、当時のあたたかな体温は、今でも確実に残っています。そういう人たちに嘘の表現はできません」と語り、史実重視の姿勢を強調した。

 脚本 みんなでより自然に

 自然な演技の追求という意味では、台湾人のマー監督も必死だった。「この日本語の表現はおかしいですか」と何度も永瀬に確認したうえで、「より自然な表現に直してほしい」とリクエストしたという。「直訳としては正しいせりふだけれど、会話の表現としてはどこかぎこちなく、普段は口にしない日本語もたくさんあり、みんなで脚本をより自然なものにしていきました」と永瀬。撮影の合間も、身を削るようにして、せりふのほとんどが日本語で語られる作品に磨きをかけ、育てていった。

 嘉義農林が誇る4番でエース、卒業後は日本に渡り、早稲田大学野球部で大活躍した呉明捷(ご・めいしょう)主将(1911~83年)を演じたのは、俳優と大学野球の現役外野手の二足のわらじを履くツァオ・ヨウニン(曹佑寧、20)。本作に出演するまで演技の経験はなかったが、今や国民的スターとなり、台湾金馬奨(台湾のアカデミー賞)では見事、新人賞にノミネートされた。「永瀬さんとは師弟関係」と公言するほど、2人は撮影を通して仲良しになった。「天は二物を与えることもあるんですね。たまにキャッチボールをしましたが、素人の僕が見ても彼の球の切れが違う。あと、ものすごいいい体格をしているんですが、中身は温厚でシャイでかわいらしい男の子なんですよ」。永瀬はツァオがかわいくてしかたないらしい。

 「場外乱闘」よそに

 本作は台湾金馬奨で最優秀作品賞ほか主要6部門にノミネートされ、永瀬も日本人として初めて主演男優賞候補者に名を連ねた。この映画祭をめぐっては、本作を「親日的な映画」として眉をひそめる中国側が審査員に圧力をかけ、選に漏れるよう工作した結果、不公平な審査が行われたのではないか-との疑惑が報じられ、紙面をにぎわせた。そんな“場外乱闘”をよそに、上記6部門とは異なる観客賞と国際映画批評家連盟賞に輝いた本作の魅力を冷静な語り口で説明する永瀬の姿が心地よい。

 「野球がどんと真ん中にある映画です。そして、みんなであきらめないで夢に向かって進んでいこう、つらい状況でも努力すれば光が見えてくるんだ-というメッセージが、学生さんをはじめ、さまざまな職業の方に分かっていただけたんだなと感じています。台湾でこの映画はアンコール上映され、さらに上映期間が延長されたそうですよ。そんなことが起きるなんて珍しいはずです」。1月24日、全国公開。(文:高橋天地(たかくに)/撮影:野村成次/SANKEI EXPRESS

 ■ながせ・まさとし 1966年7月15日、宮崎県都城市出身。80本近い映画に出演し、日本アカデミー賞などで多くの映画賞を受賞。83年「ションベン・ライダー」でデビュー。91年「息子」、96年「学校II」、97年「誘拐」、2004年「隠し剣 鬼の爪」など。海外作品では、1989年「ミステリー・トレイン」、91年「アジアン・ビート(香港編)オータム・ムーン」など。

 ※映画紹介写真にアプリ【かざすンAR】をインストールしたスマホをかざすと、関連する動画を視聴できます(本日の内容は6日間有効です<2015年1月14日まで>)。アプリは「App Store」「Google Playストア」からダウンロードできます(無料)。サポートサイトはhttp://sankei.jp/cl/KazasunAR

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