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特攻兵 米軍、手作りの日の丸で覆い水葬 米真珠湾・戦艦ミズーリ記念館で特別展
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ハワイ・オアフ島の真珠湾の戦艦ミズーリで特攻企画展が始まり、多くの市民らが特攻隊員の遺書や軍服などに見入った=2015年4月11日、米ハワイ州(鈴木健児撮影) 第二次世界大戦末期の1945年に鹿児島県沖で旧日本軍の特攻機が突入し、現在は米ハワイの真珠湾で記念館となっている戦艦ミズーリで11日、知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)に残る特攻隊員の遺書や軍服などを展示する特別展が始まった。この日は、特攻機が突入してちょうど70年の節目。多くの隊員が出撃した鹿児島県南九州市の霜出勘平市長ら日米の関係者約150人が出席し記念式典が開かれた。
産経新聞に掲載された記事がきっかけとなり日米の関係者が交流を深め、戦艦ミズーリ記念館などが知覧特攻平和会館から遺品を借り受けた。海外での展示は異例。ミズーリは東京湾で日本の降伏文書調印の場となるなど、日本との関係が深い。霜出市長は「70年の時を経て、私たちは過去の歴史に向き合う機会を得た。二度と戦争を繰り返さないことを心から願っている」と語った。
ミズーリに特攻して死亡した日本兵は当時の艦長の命令で手厚く水葬されたが、その際、手作りの「日の丸」で覆われていたなど、日本の関係者は今回の特別展を通じ新たなエピソードも知ることができた。
開催のきっかけになったのは、昨年12月に産経新聞朝刊に掲載された写真企画「戦後70年~記憶の風景」を平和会館管理係の桑代睦雄さん(54)が目にしたことだった。
「特攻機が突入した戦艦と分かっていても、多くの人が詳しい歴史を知らないのでは…」。記事を読んだ桑代さんが疑問を感じ、産経新聞社を通じてミズーリ記念館に連絡を取り、「後世に事実を正しく伝える必要がある」と一致。桑代さんが今年3月、記念館に赴いた。
そこで新たな事実も知った。45年4月11日、鹿児島県の喜界島沖でミズーリ右舷後方に突入し戦死した日本兵は、水葬の際に手作りの日の丸で覆われていたことや、記録写真が残っていたことなどだ。
「双方が憎み合っていないことが分かり、一緒に事実を伝える催しを開きたいと思った」と、桑代さんは振り返る。
特別展での展示品は遺書や手紙の複製、軍服など19点と隊員の写真約80枚。特攻の傷痕が残る甲板で行われた式典では、戦死した隊員が恋人にあてた「会いたい…」とつづった手紙が日本語と英語で紹介され、出席者の多くが涙した。
式典終了後、霜出市長ら日本側関係者は、戦艦ミズーリ記念館のマイク・カー館長から特攻を受けた当時の状況を聞くなどして親交を深めた。カー館長は「日米が協力して実現した展示を誇りに思う」と語り、霜出市長も「特攻の資料を持つ日本の施設と特攻を受けたミズーリの記念館が協力する意義は大きい。今後もさらに理解を深め事実を伝えたい」と話した。企画展は11月11日まで。(米ハワイ 鈴木健児/SANKEI EXPRESS)