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「古寧頭戦役」再現 台湾と香港の学生パワー
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立法院(議会)の議場を占拠した台湾の学生たち。あの「ヒマワリ学生運動」から間もなく1年になるが、運動が有権者の意識に与えた影響は大きかった=2014年3月19日、台湾・台北市(吉村剛史撮影)
中国との「サービス貿易協定」の承認に反対した台湾の学生らが、立法院(議会)の議場を3週間にわたって占拠した昨年の「ヒマワリ学生運動」が始まって3月18日で1年となる。
台湾当局は一定の譲歩を余儀なくされ、さらに与党の中国国民党は昨年11月の統一地方選で、台北、台中など主要都市の首長ポストを失って、惨敗した。学生運動が台湾の有権者に影響を与えた可能性が高い。
加えて昨年9月28日には香港で、中国が決めた行政長官の選挙制度改革に反発した学生ら民主派が街頭占拠デモを始め、香港中心部の交通を約2カ月半にわたってマヒ状態にした。最大で10万人以上が抗議したが結局、政府側からの譲歩は何も得られなかった。
それでも、「政治参加意識の薄かった香港学生の間に、強権をふりかざす中国共産党政権や親中派の香港政府に対抗する民主主義の意識が、急速に広がったことの意義は大きい」と学生団体の代表は強調した。立法会(議会)で6月にも採択される選挙制度改革案をめぐり、再び大きなデモが起きそうな気配だ。
一気呵成(かせい)に北京から政治的影響力を強めようとした習近平政権の攻勢を、学生パワーが水際で必死に食い止めている点で、台湾と香港は共通している。台湾の学生に共鳴した香港学生が奮起した側面も大きい。こうした動きを、ある台湾の政治学者は「1949年10月の『古寧頭(こねいとう)戦役』の再現だ」と考えている。
第二次世界大戦の後、中国大陸で起きた国共内戦の結果、台湾に逃れた蒋介石の中国国民党と、大陸を制した毛沢東率いる共産党がなお対峙していた時期。国民党が支配する福建省アモイ沖の金門島への上陸作戦を仕掛けた共産党軍が、わずか3日間で国民党軍に撃退された伝説の戦役だ。
その古寧頭戦役で、国民党側の作戦指揮を水面下でとったのが旧日本軍の根本博陸軍中将であることは知られているが、それはここでは置く。ともあれ結果的に、中国大陸の沿岸までわずか数キロの距離にある金門島の実効支配を守った国民党が、台湾海峡の制海権と制空権を維持し続けた。台湾海峡をシーレーンとする日本も多大な恩恵を受けた。台湾も共産化を免れて、東西冷戦時代に金門島は反共最前線となった。
その戦役から65年を経た昨年、武器をもたない台湾と香港の学生は非暴力を貫いて、共産党の上陸作戦をかろうじて食い止めた。
習氏は21世紀の古寧頭戦役をどう見ただろうか。
晴れた日は金門島の海岸から、目と鼻の先に高層ビル群までくっきり見える福建省アモイ市。ビジネスマンやその家族など台湾人も数十万人が暮らすアモイ市の副市長を経て、福建省福州市長や福建省長にかけ上がり、現在は国家主席と党総書記にまでなったのが習氏だ。
新中国の建国以来、毛沢東を含めどの政権も果たせなかった台湾統一。英国の影響を色濃く残す香港でも完全な支配権を得るなどして、習氏は実績をあげて国内で盤石な権力基盤を、対外的にも強大な政治的発言力を得たいに違いない。
古寧頭戦役の後、翌年勃発した朝鮮戦争や、54年の米国と台湾の相互防衛条約調印を受け、中国は反撃の機会を失った。歴史の教訓から、中国は何を得たか。
次の一手はまだ見えてこないが、上海の台湾研究者は、「中国は台湾との外交戦ではまだ切っていないカードを温存している」と明かした。中台はこれまで互いに「一つの中国」の主張の下、アフリカや中南米の小国を中心に、外交関係を結ぶ国を奪い合ってきた経緯がある。
台湾は今も20カ国以上と外交関係を保つが、研究者は「両岸関係の改善を訴えた馬英九の当局が2008年に誕生し、その成果を見極めようと控えてきた外交関係先の争奪戦を、われわれはいつでも再開できる」と言い放った。経済通商面の譲歩で効果がなければ次は強面(こわもて)だ。
もう一点は、国民党主席に就任したばかりの朱立倫氏(53)=新北市長=が9日、香港を訪問するところに、何かヒントが隠されているかもしれない。台湾と香港の都市間交流を話し合うフォーラム参加が目的だが、国民党の現役主席が香港を訪問するのは初めてという。共産党が何らかのお膳立てを整えたと考えるのが自然だ。
65年前の戦役はまだ終わっていない。(北京 河崎真澄/SANKEI EXPRESS)