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「生きた教材」伝説のフランコ氏、日本復帰 大屋博行
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ルートインBCリーグ、石川ミリオンスターズの選手兼監督就任会見に臨むフリオ・フランコ氏(中央)=2015年3月13日、東京都品川区(共同)
最近、日本でよく耳にする「レジェンド」という言葉が似合う男が来日した。フリオ・フランコ氏。公称56歳。長らくメジャーリーグの第一線で活躍し、日本のプロ野球でもプレーした伝説の選手だ。今季、そのフランコ氏が日本の独立リーグ、ルートインBCリーグの石川ミリオンスターズで選手兼監督に就任したのだ。
ドミニカ共和国出身で、メジャーで右の強打者としてならし首位打者も獲得した。メジャーデビューは1982年。通算で2586安打を重ねた。2008年に最初の引退表明をするまで、日米など延べ15球団を渡り歩いた。さらに14年に米独立リーグで選手兼任コーチとして復帰し、現役生活を再開した。
バットを投手方向に突き出す独特の打撃フォームは、1995年と98年の2シーズン、日本のロッテでもプレーしたときにすっかり有名になった。56歳という年齢も、実際にはもっと上なのではと、メジャー時代からしきりに噂されてきた。
正直なところ、各ポジションからその年の強打者を選出する「シルバースラッガー賞」を88~91年に4回連続(通算では5回)獲得したころの若かりし日のプレーは、あまり記憶にない。ただ、ボビー・バレンタイン監督(当時)時代のロッテで活躍したことは鮮明に覚えていた。
そんなフランコ氏と知遇を得たのは、彼がまだ現役の時代。ブレーブスに在籍した2001~05年のことだ。
春季キャンプに大型高級車のハマーで乗り付ける姿が、強烈に印象に残っている。ハマーといえば、超高額年俸を稼ぐメジャーリーガーの愛車の代名詞といえる存在。「さすがメジャーリーガーだな」と変な感心をさせられた。
ブレーブスのキャンプ地は、フロリダ州オーランド。ディズニーワールドがあることで知られ、実際に球場もその敷地内に建てられている。観光地ゆえ、メジャーの選手たちも夕食には困らない。ロブスターやステーキが有名で、和洋中と何でもそろっている。私たち日本人が訪れても、すしや鉄板焼きを堪能できる。ただ、値が張るのも事実で、球団から支給される「ミール・マネー」では足が出る。
そんなときは、近くの大型スーパーへ食材を買いに行くのだが、フランコ選手と出くわしたのが、食料品専門のスーパーだった。駐車場には、スーパーには似つかわしくない見慣れたハマーがでんと止められていた。お付きと思われる2、3人と一緒に買い物に来ていたフランコ選手は、野菜や肉を自ら手に取り、真剣な顔つきで吟味していた。自分で食べるものを自分の目で確かめていたのだ。おそらく、宿舎に帰って自分で料理していたと思う。
ハマーに乗るほどなのだから、お金に困っていたはずはない。おなかが空いたのなら、高級レストランに足を運べばいいのだから。それをしないのは、体のことを考えてのことだと容易に想像ができた。
外食では、塩分や脂肪が過多になり、栄養バランスも崩れがちになる。それを嫌い、生鮮品を品定めし、栄養面で最大限の配慮を行っていたのだ。節制しているからこそ、大きなけがはあまりしなかった。フランコが誰よりも長く現役生活を続けることができる要因を垣間見ることができた。
物静かな紳士でもあった。クラブハウスで初めて出会ったとき、「ロッテにいたフランコだよね」と声を掛けると、「そうだよ、日本が大好きなんだ」という答えが返ってきた。顔を合わせれば、日本語で「コンニチワ。ドウモ、ドウモ」とあいさつしてくる。彼のそんな人柄が忘れられない。
ミリオンスターズでは選手兼任監督とはいえ、パワフルさにあふれたかつてのようなプレーは、さすがに難しいと思う。だが、バットにボールがコンタクトしてから、遠心力でボールを押し込むスイングは、今でも「生きた教材」にほかならない。ボールに強くコンタクトせず、反発だけでボールを運ぶ「弾き打ち」スタイルが多い日本の選手に対し、メジャーらしいパワフルな打撃を教え込んでくれたら、若い独立リーグの選手には貴重な財産になるだろう。
還暦近くになっても異文化に飛び込む覚悟は、あっぱれというしかない。彼の挑戦を支える一番の活力は、「野球が大好き」という原点ともいえる思いなのだろう。野球ファンならずとも、北陸新幹線が開通した金沢に足を運び、「レジェンド」のプレーを生で見るのも悪くはない。(アトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当 大屋博行(おおや・ひろゆき)/SANKEI EXPRESS)