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偉大な2投手が教えてくれたこと 大屋博行
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米大リーグの野球殿堂入りが決まった(左から)グレイグ・ビジオ氏、ペドロ・マルチネス氏、ランディ・ジョンソン氏、ジョン・スモルツ氏の4人=2015年2月7日、米カリフォルニア州サンフランシスコ(AP)
野球人にとって最高の栄誉といえるだろう。米大リーグの今年の野球殿堂に1990年代のブレーブス黄金期を支えたジョン・スモルツ氏、ダイヤモンドバックスなどで活躍した長身左腕のランディー・ジョンソン氏、レッドソックスのエースだったペドロ・マルチネス氏、アストロズで3000安打以上を打ったクレイグ・ビジオ氏の4氏が選出された。アメリカ野球史上に燦然(さんぜん)と名前を残した名選手たちだ。
ブレーブスの顔だったスモルツ氏と、最初にスカウト活動を始めたダイヤモンドバックスで活躍したジョンソン氏には思い入れがある。
スモルツ氏は213勝、154セーブという通算成績が示すとおり、先発、クローザーのいずれでも結果を残した右腕だ。200勝と150セーブ以上を成し遂げたのは大リーグ史上初の快挙。サイ・ヤング賞に輝いただけでなく、最多勝と最優秀救援の両方を獲得しているのだから、殿堂に選ばれるのも当然といえるだろう。
スモルツ氏の投球を一言で語るならば「スナイパー」という言葉が合致する。冷静沈着に、ライフルで敵の急所を一発で仕留めるような鋭さがスモルツ氏にはあった。力の抜けた投球フォームから縦の角度が効いた球を投げ込んでいた。
全盛期には速球は150キロ後半をマークしていたが、何より驚かされたのはスプリット、日本でいうフォークボールだ。日本人メジャーリーガーのパイオニア、野茂英雄氏のような落差こそなかったものの、球速は140キロ台後半を記録し、速球の軌道で勢いよく、鋭く落ちた。スピードガンを握りながらスモルツ氏の投球を観察して、「これがスプリットなのか」とつくづく感心した。
約190センチと長身だったが、そこまで大きくは見えなかった。ただ、胸板は厚く、体に強さがあった。鞭のように腕を振れるというか、無駄な筋肉がついていない、投手らしい体だったといえるだろう。
人間的にいえば、落ち着いた中に熱いものがある選手だった。クラブハウスでの行動は、いつも冷静で、いたずらに興奮することもない。個人的には、スモルツ氏がふざけたことをしていることを見たこともない。規律の正しいブレーブスらしい、まさに紳士といえるだろう。
1990年代、ブレーブスはスモルツ氏をはじめ、トム・グラビン氏、グレッグ・マダックス氏を擁し、「投手王国」と呼ばれた。その中でもスモルツ氏は力で押していくパワーピッチャーで、エースと呼んでも差し支えない投手だった。
スモルツ氏の現役晩年、マイナーリーグのキャンプインに合わせて、若手選手にグラウンドで話をしてもらう機会があった。そこでスモルツ氏は「メジャーで活躍するのは必要なことがある。上で使われるときに備えて、しっかり準備しておくことだ」と訴えた。至極当たり前なことなのだが、この言葉にスモルツ氏のすべてが詰まっているように感じる。
もう一人、ジョンソン氏はスモルツ氏を上回る208センチの長身左腕だ。そのことから「ビッグユニット」とも呼ばれた。
投手としても、すべてにおいて「サイズ」の違いを感じた。長身選手は運動神経に難があるタイプも多いが、ジョンソン氏は抜群の瞬発力を誇っていた。スリークオーター気味の腕の振りも実にしなやかだった。
速球は160キロ近くを計測し、まっすぐではなく生き物のようによく動いた。加えてスライダーの切れも抜群。視界から逃げていく左打者だけでなく、胸元に食い込んでくる右打者にも脅威だった。速球、スライダーともに、捕手が捕球に戸惑っていた姿が印象に強く残っている。
私がスカウト活動を始めたのがダイヤモンドバックスで、当時のジョンソン氏はすでに全盛を誇っていた。親しく知遇を得たのは私がブレーブスに籍を移してから。ジョンソン氏が日米野球で来日した際、東京のカフェで食事をともにする機会があった。
言葉数が少なく、語弊があるかもしれないが、「変人」との感想が脳裏に浮かんだ。そういう意味では、スモルツ氏とは対照的といえるだろう。握り拳大のパンプキン・マフィンを豪快にひと口で平らげ、あぜんとしたのが思い出だ。
そんなジョンソン氏だったが、日米野球のとき、腰にゴム製のコルセットを巻いていた。打者が恐怖心すら抱くボールを投げ込むためには、それだけ体に負担を掛けていたということなのだと思った。ひたすら野球に打ち込んだジョンソン氏の偉大さを感じさせられた。偉大な選手たちに心から敬意を表したい。(アトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当 大屋博行/SANKEI EXPRESS)