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お荷物球団を再建 辣腕GM、ムーア氏 大屋博行

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お荷物球団を再建 辣腕GM、ムーア氏 大屋博行

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【メジャースカウトの春夏秋冬】恩師であるローイ・カーピンジャー氏(左)と大屋博行氏(アトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当)=1月18日、米国(大屋博行さん提供)  【メジャースカウトの春夏秋冬】

 まさに快進撃だった。米大リーグで、ワイルドカードから勝ち上がり、ア・リーグを制し、29年ぶりにワールドシリーズに進出したロイヤルズ。その戦いぶりは、青木宣親(のりちか)選手がプレーしていたこともあり、日本でも注目を集めた。長年の低迷からメジャーの“お荷物球団”と揶揄(やゆ)されていたチームの再建は、2006年にデイトン・ムーア氏がゼネラルマネジャー(GM)に就任したことから始まった。

 ロイヤルズは1985年のワールドシリーズ初制覇を最後にリーグ優勝からも遠ざかっていた。2000年代に入ってからは4年連続最下位を味わい、シーズン100敗も珍しくなかった。

 GMとして招聘(しょうへい)されたムーア氏。実は、私の元上司でもある。ロイヤルズに移るまで、ブレーブスのGM補佐として辣腕を振るっていた。現場スカウトからのたたき上げで、国際部長などを歴任。1991年まで14年連続地区優勝を果たしたチームの黄金期にフロントで中心的役割を果たした一人だ。

 ブレーブス内でもその手腕は高く評価され、次期GMとの呼び声も高かった。詳しい経緯まではわからないが、最終的には、チームはフランク・レン氏をGMに昇格させることを決定。ムーア氏はブレーブスを去り、ロイヤルズに迎えられた。

 ロイヤルズではまず、ブレーブス時代に目をかけてきた有望なマイナー選手をトレードなどで古巣から獲得した。さらに、ブレーブスで培った育成メソッドをロイヤルズに定着させたかったのだろう。スカウトやコーチ陣、用具担当まで引き抜いた。自らの信頼がおける人物で周囲を固めた。

 マイナーから育てる

 「ダイヤの原石」といえる選手を探し、育て上げるブレーブスの伝統を形作ってきた人物ゆえに、ロイヤルズでも、マイナーから選手を育てることに徹した。

 ブレーブスでマイナーの総責任者だったとき、ムーア氏が力を入れたのが選手に提供される食事の質を向上させたことだ。メジャーが「ステーキ・リーグ」なら、マイナーは「ハンバーガー・リーグ」と称されるように食事面での待遇差は歴然としている。しかし、ムーア氏はあえてマイナーの食事を改善する“先行投資”を行うことで、体ができていない若い選手がより高いパフォーマンスを発揮できる環境をつくろうとしたのだ。

 ロイヤルズが低迷期だったことが幸いした。大リーグのドラフト会議はウェーバー制で、指名順は成績下位のチームから。有望選手を獲得できる有利な条件がそろっていた。育成には資金も重点投下する。こうして、獲得した選手をマイナーで育て、昨季は10年ぶりの勝率5割超えを果たした。補強で獲得した青木選手もムーア氏好みの選手だろう。守備に定評があって足も使え、打撃もシュア。日本人選手の堅実さや責任感の強さを知っていた。育成と補強を実らせ、大躍進へとつなげた。

 現場の意見をよく聴く

 もちろん、厳しい一面も持ち合わせている。通称名は「シャープ・ガイ」。ひとたび能力がないと見るや、選手もスタッフも遠慮なくクビを切る姿勢から、こう呼ばれていた。

 ただ、現場主義の人間で、担当スカウトやコーチの意見にいつも耳を傾けていたことも印象に残っている。私も春季キャンプでフロリダを訪れたとき、グランドでマイナー選手を見ていると、ムーア氏に「あの選手をどう思う」とよく尋ねられた。多くのスタッフにさまざまな質問をぶつけてより多くの情報を収集し、強化に役立てていたのだ。

 一つ思い出すムーア氏の“失敗”がある。

 実は、ダルビッシュ有投手(レンジャーズ)が中学3年生のとき、来日していたムーア氏とアジア統括の責任者、そして私の3人で直接視察したことがあった。当時から直球は134キロを計測する逸材だった。私は「いま100万ドル出せば契約できますが、来年になったら1000万ドル出しても契約できませんよ」とムーア氏に推薦した。だが、いろよい返事はなかった。

 ラテン系の選手は15歳でも145キロくらい平気で出してくる。ただ、それは人種の違いによる成長期の時期の問題なのだ。その点を当時のムーア氏は見誤っていたのだと思う。のちになって、ダルビッシュ投手の父とムーア氏がキャンプ地アリゾナのレストランで偶然顔を合わせたとき、「息子さんはすごい選手になったね」とあいさつしたそうだ。

 飾らない人柄で、ブランド物にも無縁。国際部長になっても安物のサングラスを購入しようとしていたから、私がショッピングに付き添い、100ドルのサングラスを買わせたこともある。いまでもブレーブスへの思いはあるはずだし、いつか古巣のGMに返り咲くこともあるかもしれない。ブレーブス流でロイヤルズを率いるムーア氏。その手にチャンピオンリングをつかむ日を夢見ていることだろう。。(アトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当 大屋博行/SANKEI EXPRESS

 ■おおや・ひろゆき 1965年10月生まれの48歳。大阪府出身。高校中退後に渡米し、アリゾナ州スコッツデール市立コロナド高校で投手としてプレー。コロナド高を卒業後に帰国し、プロ野球阪神で練習生、歯科技工士などを経て98年に米大リーグ、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの国際スカウト駐日担当に就任。2000年からアトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当として日本国内の選手発掘に励む。

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