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ジャパニーズ・ドリームをつかめ 大屋博行

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ジャパニーズ・ドリームをつかめ 大屋博行

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本塁打を放ち、チームメートに迎えられる西武のエルネスト・メヒア選手=2014年5月、埼玉県所沢市・西武ドーム(共同)  【メジャースカウトの春夏秋冬】

 懐かしい顔と再会するのは、何ともうれしいものである。貧打に苦しんでいた西武が、ブレーブスから緊急補強したエルネスト・メヒア選手のことだ。

 28歳のメヒア選手のことを、実は彼が18歳のときから知っている。いわば「息子」のように思っている選手が、マイナーの3Aを巣立ち、「ジャパニーズ・ドリーム」をつかもうと来日した。

 5月28日。甲子園で行われた阪神-西武の一戦を観戦した。目的の一つが、メヒア選手に会うことだった。試合前の練習時間中にバックネット裏の金網越しに「元気か」と声を掛けると、彼も喜んでくれて、手をねじ込んで握手を交わした。

 「日本の投手は変化球ばかり投げてくる。勝負してこないが、それでも対応していかないといけない」。メヒア選手はこのとき、そんなことを話していた。

 試合中には、ブレーブス時代のチームメートも仕事を終えて応援に駆けつけた。高校卒業後の2004年にブレーブスとマイナー契約を結び、米国でプレーした経験がある浜岡巧君だ。私がブレーブスに初めて打者として送り込んだ日本人選手でもあった。

 メジャー昇格という夢は果たせなかったが、メヒア選手とは同期で、当時はお互いにレフトを守った仲。ネクストサークルで浜岡君に気づいたメヒア選手は手を挙げて応えていた。この試合、メヒア選手の2安打1打点の活躍もあって西武が逆転勝ちし、喜びはひとしおだった。

 ブレーブス一筋

 198センチ、118キロのメヒア選手はベネズエラ出身。入団当初から体が大きかったが、最初の春季キャンプでプレーを見たときは、まだまだパワーヒッターとはいえなかった。ただ、教育の行き届いたベネズエラの出身者らしく、規律を守り、何事にもまじめに取り組んでいた好漢だったのが印象的だった。

 当時から最大の目標はメジャーリーガーになることだっただろうが、18歳の彼は私に「将来は日本に行きたい。日本で大成したい」と打ち明けていた。メジャーの壁がすごく高いことや、ベネズエラ出身で来日して活躍したボビー・マルカーノ選手やアレックス・カブレラ選手のことを知っていたからだろう。

 彼は2010年こそロイヤルズ傘下で過ごしたが、それ以外のシーズンはブレーブス一筋でプレーしてきた。12年は3Aで打率296、24本塁打をマーク。昨季は膝のけがで打率こそ低迷したが、28本塁打を放ち、パワーヒッターに成長していた。

 不幸だったのは、ブレーブスの選手層が厚いことだ。最初は外野を守っていたが、守備力に難があり、近年は一塁手が専門だった。その一塁手には昨季、メジャーで23本塁打、109打点を挙げたフレディ・フリーマン選手がおり、球団は長期の再契約を結んだ。足が遅いこともネックで、首脳陣の期待も徐々に薄れてきていた。

 日本で化ける可能性

 一方で、ここ3年ほど、中日や阪神など日本球団が注目していた。走力の問題はあるが、卓越したミート力とパワーが魅力だったからだろう。

 詳細はわからないが、中日は育成選手契約を提示したために破談したと聞いた。そして、今回獲得した西武からは、私に照会があった。担当者には「本塁打も打率も残せる選手です。非常に人間性にも優れ、対応能力もあります」と力説した。本人が日本行きを希望していたこともあり、チームとしてもメヒア選手に活躍の場を作ってあげたかった。声をかけてくれた西武にとってもメリットがあると思った。

 3Aには、彼のような日本向きの選手が実はたくさんいる。日本で成功したアレックス・ラミレス選手やタイロン・ウッズ選手は好例だ。「走攻守」のいずれかに課題を抱え、メジャーには届かないが、日本なら、たとえば打撃力で求められている基準をクリアし、十分に通用する可能性が高いのだ。

 米球界では「アメリカのスピードボールにはついていけない選手が、球速で劣る日本で化けるケースが多い」との指摘がある。一部の選手を除き、日本に比べてメジャーの投手の直球はまさに「メジャー級」。しかし、そこからやや速度が落ちれば、打率も残せて安定感が出るのだ。

 付け加えるなら、日本人選手が海を渡って苦労するように、逆の悩みに対応できるかも鍵を握る。日本の長い練習時間や変化球攻め、文化の違いなどになじもうとする姿勢が、最低限必要になってくる。そうしたことも考慮に入れると、もしブレーブスで日本から補強の問い合わせがあれば、一番に推薦していたのがメヒア選手だった。

 5月15日の来日初試合でいきなり初打席初本塁打を放つなど、ひとまずはうまく日本野球に適応しているように見える。

 「親心」としては、今まで積み重ねてきたものを、日本でお金に換えてほしい。プロなのだから、当然だ。初めて会ってからもう10年。あどけなくニコニコと笑っていた18歳はいま、西武の主軸を張る使命感にあふれた表情になっている。

。(アトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当 大屋博行/SANKEI EXPRESS

 ■おおや・ひろゆき 1965年10月生まれの48歳。大阪府出身。高校中退後に渡米し、アリゾナ州スコッツデール市立コロナド高校で投手としてプレー。コロナド高を卒業後に帰国し、プロ野球阪神で練習生、歯科技工士などを経て98年に米大リーグ、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの国際スカウト駐日担当に就任。2000年からアトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当として日本国内の選手発掘に励む。

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