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逸材、松井裕樹 成長を見守る楽しみ 大屋博行

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逸材、松井裕樹 成長を見守る楽しみ 大屋博行

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7月23日の西武戦に先発した楽天の松井裕樹投手=2014年、埼玉県所沢市・西武ドーム(今野顕撮影)  【メジャースカウトの春夏秋冬】

 安定しなかった制球

 甲子園を沸かせた大物ルーキー、楽天の松井裕樹(ゆうき)投手に、光明がさしつつある。開幕当初は先発ローテーション入りしながら結果を出せずに2軍落ち。しかし、6月6日に再昇格を果たすと、7月2日のオリックス戦では中継ぎで好投して初勝利をつかんだ。オールスター明けの後半戦からは先発復帰も果たした。

 ここまで苦しんだ原因は何だったのか。

 初先発から3連敗した左腕は、打ち込まれたと思えば、制球を乱し、プロの壁に直面した。無我夢中で全力で投げているのだが、投球フォームに余裕がなかった。英語で「ポンプアップ」という状況で、力みによって制球が安定しなかった。

 174センチとプロでは恵まれた体ではない。高校生が空振りしていたスライダーも、選球眼のいいプロからすれば、当たり前のボールの一つにすぎないというわけだ。

 三振ラッシュで大きな注目を浴びた高校2年時から体も変化した。当時は体つきのバランスがよく、柔軟性もあった。コンパクトに腕を振る「クイックアーム投法」で、打者も打ちづらそうだった。

 だが、3年になるとトレーニングの結果なのだろうが、腰回りをはじめとして体が、「ぷりぷり」としてきた。よくいえば筋力がついた進化なのだが、腕の振りの鋭さが落ち、球の出所も見やすい投球フォームに変わってしまった。3年夏に甲子園出場を逃したこととも、それと無縁ではない。

 ウイニングショット必要

 チームの先輩である田中将大(まさひろ)投手(ヤンキース)や藤浪晋太郎投手(阪神)をはじめ、近年の甲子園のスターはプロ1年目から活躍するケースが多い。高卒ルーキーですぐに勝てる投手の特徴とは何か。まず、打者が分かっていても打てないウイニングショットがあるかどうかだ。

 横浜高からプロ入りし、1年目に16勝を挙げた松坂大輔投手(メッツ)は、スライダーに抜群の切れがあった。最近はスプリットという新たな武器を身につけた田中投手も当時はスライダーを駆使し、いきなり11勝をマークした。昨季、10勝を挙げた藤浪投手は、カットボールが有効だった。

 身長197センチの藤浪投手には手足も長く、ボールの出所が見にくいというアドバンテージがある。ダルビッシュ有投手(レンジャーズ)もそうだが、恵まれた体を持ち、150キロ超の直球に加えてウイニングショットも備えている。

 ただ、松井投手が彼らと比べて劣っているというわけではない。左投手という利点に加えて、甲子園の大舞台であれだけ三振を奪ったのは潜在能力の高さを示している。目指すべきは、身長175センチで体つきも似ている同じ左腕の杉内俊哉投手(巨人)だろう。球速は決して速くはないものの、ゆったりとした投球フォームから、伸びのある直球を投げ込んでいる。腕の振りも一定だから、直球と変化球の見極めも難しい。社会人を経てプロ入りしているが、最多奪三振のタイトルも3度獲得し、三振を奪える投手でもある。

 まだ時間かかるが

 本音をいえば、身体的に恵まれていない選手は、高校から直接プロの門をたたくのではなく、社会人や大学で力を付けることを勧める。投手でも野手でも同じだ。松井投手にもいえるのだが、プロでいきなり「できあがった」選手たちと戦う場合、今まで抑えることができていたボールを打ち返され、萎縮するケースがある。体力やフォームの修正も突貫工事になりがちだ。

 大学や社会人なら、大人の体になるまで余裕を持ってトレーニングを積むことができる。広陵高から早大を経て阪神に入団した上本(うえもと)博紀内野手や、三重中京大から楽天に入って昨季に新人王を獲得した則本昂大(のりもと・たかひろ)投手らが好例だ。

 松井投手にとって幸運なのは楽天に入団したことだ。エースに育てようと、1軍で登板機会を与えている。

 例えば、2009年のドラフトで西武に入団した菊池雄星(ゆうせい)投手のように壁を乗り越えて頭角を現す選手もいる。彼もプロ入り当初は力みの入った投球フォームで、よく制球を乱していた。

 松井投手も活躍するまでには、3年ほど時間が必要だと思う。それでも、ドラフトで5球団が競合した逸材には違いない。メジャーでもそうだが、生え抜き選手の成長の過程を見つめることができるのは、ファンにとって楽しみでもある。(アトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当 大屋博行/SANKEI EXPRESS

 ■おおや・ひろゆき 1965年10月生まれの48歳。大阪府出身。高校中退後に渡米し、アリゾナ州スコッツデール市立コロナド高校で投手としてプレー。コロナド高を卒業後に帰国し、プロ野球阪神で練習生、歯科技工士などを経て98年に米大リーグ、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの国際スカウト駐日担当に就任。2000年からアトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当として日本国内の選手発掘に励む。

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