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科学
ニュートン、女王戴冠記念メダルを自らデザイン 政治宣伝に加担、手書きノートで判明
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アン女王(1665~1714年)の戴冠を祝して鋳造された記念メダル。(C)Trustees_of_the_British_Museum 万有引力の法則を発見した英国の科学者、アイザック・ニュートン(1643~1727年)が、1702年にアン女王(1665~1714年)が戴冠した際に鋳造された記念メダルをデザインしていたことがこのほど発見された文書で明らかになった。ニュートンは、女王を苦しめる“敵”をメダルに描き、王家の政治宣伝にも加担していた。古典力学を創設し、聖書や錬金術などさまざまな研究に没頭したマルチタレントの新たな素顔が浮かび上がってきた。
英BBC放送によると、英オックスフォード大学大学院生、ジョセフ・ホーンさんが、キューにある国立公文書館で、ニュートンが記念メダルのデザインについて自ら手書きで記したノートを発見した。
ノートは全部で50ページ。その留め金が完全に錆(さ)び付いて開封された形跡がなかったため、長年にわたり見逃されてきたことがわかったという。
女王の戴冠記念メダルのデザインはこれまで、宮廷画家が担当したと考えられていた。しかし、当時、王立造幣局長官だったニュートンが、図柄を自ら手がけたことがノートには記されていた。
さらに、ギリシャ神が2つの頭をもつ化け物を打ち負かすメダルの裏面の図柄は、女王を単に国家の守護者とする意図だけではなく、女王の治世で懸案となっていた政治的な2つの脅威を描写しようとしたことが明らかにされた。
2つの脅威とは、太陽王と呼ばれた宿敵、フランスのルイ14世(1643~1715年)と、亡命先のフランスから王位を虎視眈々と狙う「ジェームズ老僭(ろうせん)王」と呼ばれたジェームズ・スチュアート(1688~1766年)の2人で、2つの“敵”はつながって女王を脅かす存在となっていたことを暗示した図柄だったという。
アン女王は、父親で1688年に名誉革命によって王位を追われフランスに亡命したイングランド王ジェームズ2世がもうけた異母兄弟のジェームズ老僭王と、王位の正統性をめぐって争っていた。
ノートによると、メダルは、金と銀の2種類鋳造され、金メダルは「質の高い人たち」に贈られたが、安い銀メダルは、戴冠(たいかん)式に集まった群衆たちに投げ与えられたという。
ノートを発見したホーンさんは「ニュートンは、現代のように自然科学と人文科学を分けて考えてはいなかった。ノートは、ニュートンが自らを科学者だと思ってはおらず、たくさんの商売の熟練者と位置づけていたことを示している。彼が偉大な科学者だというのは、後世の人による解釈で、彼は自分を公僕に近い存在だとみていたはずだ」と指摘した。
プロジェクトの共同責任者で、オックスフォード大イングリッシュ学科のポリーナ・キューズ氏は「ノートとスケッチは、アン女王への王位継承をめぐる当時の政治への理解を深めるとともに、ニュートンが果たした驚くべき役割を提示している」と述べ、「本当に興奮するような発見だ」と評価した。
ちなみに、最後のイングランド王国・スコットランド王国の君主で、最初のグレートブリテン王国君主およびアイルランド女王となったアン女王は、17回も妊娠したが、世継ぎは全員死亡。1714年に自らが他界すると、スチュアート朝は断絶し、英国に新たな時代が到来した。
女王にナイトの称号を授けられたニュートンは、女王の崩御後、10年あまり生き、84歳で他界した。自然科学や工学、技術の基礎となる古典力学や物理学の祖となり、近代文明に大きな影響を与えた偉業は、今も生き続けている。(ロンドン 内藤泰朗/SANKEI EXPRESS)