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ベトナム戦争終結から40年 不屈の鉄路 統一された南北結ぶ

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ベトナム戦争終結から40年 不屈の鉄路 統一された南北結ぶ

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南北統一のシンボルのひとつ、統一鉄道=2015年5月16日、ベトナム・トゥアティエン=フエ省のフエ駅(佐藤良一さん撮影)  南国の日差しを浴び色あせたディーゼル車両が、ベトナム中部のフエ駅に入ってきた。きれいな車両とは言い難いが、長年走り続けてきた風格に力強さを感じる。

 首都ハノイから南のホーチミン(旧サイゴン)までの全長1726キロを結ぶ統一鉄道。激動の歴史が流れたこの国の平和の象徴で、戦争により幾度となく破壊されては復旧を繰り返した不屈の鉄道である。

 1945年に第二次世界大戦が終わり、ベトナムを掌握していた日本がポツダム宣言による降伏文書に調印。時を同じくしてホー・チ・ミン(1890~1969年)を国家主席とするベトナム民主共和国(現在はベトナム社会主義共和国)が誕生した。

 翌年から始まったインドシナ戦争が終結すると、北緯17度線を境に南北に分断された。やがてホー・チ・ミン率いる北ベトナムは南ベトナム解放民族戦線を結成し、アメリカを後ろ盾とする南ベトナム(ベトナム共和国)との内戦へと発展した。

 これがベトナム戦争であり、1975年4月30日にサイゴンが陥落し幕を閉じた。民族統一の志を胸に戦ったベトナム人にとって願いがかなった記念日となり、40周年を迎えた今年は各地で祝典が催された。

 蒸し暑いホームから住民に交じりバックパックを背負う欧米人らがわれ先にと車両へと乗り込む。一晩かけてハノイへと向かうが、途中にはヒエンルオン橋がある。統一鉄道と並ぶもうひとつの平和の象徴だ。車掌が出発の合図を送った。

 ≪元「渡れずの橋」 過去の色に塗り分け≫

 ジュネーブ協定でベトナムが南北に分割された際、国民に認められたのは60日間で北か南かを選ぶ二者択一だったという。目の前には暫定軍事境界線だった北緯17度線上を流れるベンハイ川に架かるヒエンルオン橋。往来が許されなかった橋である。

 最前線だった名残で両端に監視塔が残る。3年ほど前には橋の北側半分を南ベトナム解放民族戦線の旗を模して青色に、南側半分をベトナム共和国の黄色に塗り替えた。北側にフラッグタワー、南側に統一の希望の塔が建つ。

 ガイドのミン・ハイさんの父親、チャウさんは戦争体験者で、現在67歳。20代で南ベトナムに徴兵されたという。「平和となった今、また稲作ができるのがうれしい」と話すが、戦争当時については「北側の親戚や友人に会えなくなったのがつらかった」と言葉少なだった。

 平和が戻って40年の歳月が流れたが、それと引き換えに思い出したくもない体験を抱えている人が今もいることを改めて思い知らされた。

 橋の北側にあるヴィンモック村も訪れた。雨のように空爆が続いた激戦地のひとつだが、疎開を拒んだ村民約300人が総延長3キロにも及ぶ地下道を掘り、そこで生活した。入り口は数カ所あるが、どこもかがまなくては進めない狭さ。当然真っ暗だ。約5年間暮らしたというが、日の当たらない生活を続けた結果、今も皮膚病に悩む村民は少なくないそうだ。

 帰路の途中、竹ざおで「Dau」(桃の一種)を採っている村の子供たちを見かけた。あまりにも楽しそうなその姿は、重苦しくなっていた心を解き放つかのように、素朴な、それでいて麗しきベトナムを感じさせてくれた。(文・写真:カメラマン 佐藤良一/SANKEI EXPRESS

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