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贅尽くした工芸品 栄華そのままに 「中国宮廷の女性たち 麗しき日々への想い」
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「紅紗地納紗綉百子図門簾」(部分)清・光緒(1875~1908年、提供写真)
明から清にかけて、中国の宮廷の女性たちはどんな暮らしをしていたのだろうか? 「中国宮廷の女性たち 麗しき日々への想い」(渋谷区立松濤美術館)で展示されている贅(ぜい)を尽くした衣装や陶磁器、装飾品約120点(北京芸術博物館所蔵)は、彼女たちのきらびやかな生活を彷彿(ほうふつ)とさせる。その中には清末に政治の実権を握り、“悪女”として歴史に名を残した西太后(慈禧太后、1835~1908年)に関わる遺品もあり、帝国の衰亡にも思いをはせることになる。
「清代公主像」は、19世紀に皇帝の娘を描いた“肖像画”だが、誰がモデルかは分かっていない。色とりどりの刺繍(ししゅう)が施された女真(満州)族特有の冬の正装で、皇帝の一族しか許されない五爪の竜があしらわれている。
「紅紗地納紗綉百子図門簾」は、部屋の入り口に垂らす暖簾(のれん)のようなもの。合わせて100人の「唐子(からこ)」(中国の子供)が刺繍で描かれている。宮廷に納める工芸品は、官営工場で作られたが、最高の材料を使い、手間隙にも制限を設けない姿勢は、皇室の栄華をそのまま表している。
100人の唐子は、繁栄や多産を表す、めでたい吉祥文様。ほかにも種が多くできて多産につながる石榴(ざくろ)や葡萄(ぶどう)、「福」と発音が同じ「(蝙)蝠」(コウモリ)、長寿を表す桃(もも)、富貴を象徴する牡丹(ぼたん)などが、宮廷の女性たちを飾る図柄として多用されている。
「万」に通じる蔓(つる)を持つ藤の花が描かれた「松石緑地粉彩過枝藤蘿紋碗」は、裏面に「大雅齋」と記された西太后専用の茶碗(ちゃわん)。豊かな色彩によって春の情景が描かれた官窯の名品だ。このほか西太后に関するものは、自筆とされる書画など十数点が展示されている。
下級の満州旗人の娘だった西太后は、咸豊(かんぽう)帝の目にとまり、皇子を産んで妃となった。1861年の咸豊帝の死後、クーデターを経て、27歳の若さで政権を握る。6歳の幼い息子、同治帝の後ろのすだれの陰で、事実上、国政を操る「垂簾(すいれん)政治」を始め、同治帝の死後は、おいを光緒帝に据えたが、関係が悪化して光緒帝を幽閉。1908年に74歳で死ぬまで50年近く、政治を思いのままにした。
しかしその間、日清戦争(1894~95年)の敗戦で台湾などを日本に割譲。「滅洋」を掲げる義和団事変(1900年)も起こり、列強との戦争に発展して清は滅亡の一途をたどる。
漢の呂后や唐の則天武后とともに三大悪女と呼ばれてきた西太后だが、「西太后」(中公新書)を著し、中国の歴史に詳しい加藤徹明治大教授は、「あの時代、だれが(政治を)やっても難しかっただろう。点数を付ければ70点ぐらいで、よくやったほうだ」と、一定の評価を与える。
中国ではとくに、新しく興った王朝や政権が、滅びた前王朝の為政者の悪口を言いふらすのが伝統だという。西太后もその対象の一人といえるが、とくに晩年、頤和園(いわえん)の造営のために軍事費を流用したために、現代中国でも評判が悪い。西太后は頤和園で、京劇を見て、ごちそうを食べ、豪華な衣装や家具を集めた。しかし、そうした贅を尽くした生活は、中国が世界に誇る文化として今に受け継がれている。(原圭介/SANKEI EXPRESS)
■「中国宮廷の女性たち 麗しき日々への想い-北京芸術博物館所蔵名品展-」 7月26日まで、渋谷区立松濤美術館(東京都渋谷区松濤2の14の14)。一般500円。月曜と7月21日休館(7月20日は開館)。(電)03・3465・9421。