室町時代中期の寛正2(1461)年の創業で、江戸時代には紀州徳川家御用達だった和菓子メーカー「駿河屋」(和歌山市)が先月、民事再生法に基づく再建を断念し、事業を停止した。和歌山や大阪などの全店を閉鎖し、社員も全員解雇となった。練羊羹発祥の店との説もある「老舗中の老舗」で、グリコ・森永事件で脅迫状を送りつけられた企業の一つでもある。しかし破産手続きを進めることになり、駿河屋の和菓子は、もはや味わうことのできない記録と記憶だけの歴史になろうとしている。(地主明世)
会社設立後の波乱万丈
「お客様には長らくのご愛顧を賜り、ありがとうございました」。和歌山市駿河町の本店「駿河町本舗」はカーテンが下ろされ、張り紙だけが寂しく残っている。
創業550年余りだが、企業として設立されたのは昭和19年。当時は、駿河屋食品工業だった。製法を確立したともいわれる練羊羹や焼饅頭などが親しまれ、36年には東証・大証2部に上場した。ピーク時の平成4年の売上高は60億2500万円に上った。
ところが、会社設立後の歴史は波乱万丈だ。昭和60年には、グリコ・森永事件の犯人グループから「グリコや森永のような目に遭いたくなかったら5千万をだせ」と脅迫文を送られたことでも知られる。その後、上場基準を維持するための架空増資事件で平成16年に当時の社長らが逮捕されると、17年に上場廃止となって信用も失墜した。