
震災当時の運行対応などを説明するJR貨物の安田晴彦氏=東京都品川区【拡大】
■「貨物は使命を負っている」
東日本大震災発生から2日後の3月13日、東京電力と東北電力は管内の電力需給逼迫(ひっぱく)を受けて計画停電の実施を決めた。
「停電時間や対象地域の発表が遅すぎて、運行距離の長い貨物列車は予定が立てられない状態だった。発着時間を約束できないと荷物も受けられない。非常に困った」と、JR貨物の関係者は当時を振り返る。沿岸部に大規模発電所が集中する構図は今も変わらず、津波被害を受けた際、同様の事態が再発する不安はくすぶっている。
◆「入線確認」が必要
「計画停電の対象から鉄道を外せ」。JRグループの経営陣と国土交通省、東京電力と当時の政権与党の民主党などが交渉を繰り返す中で、鉄道による貨物輸送が徐々にクローズアップされてきた。
JR貨物の小林正明社長(当時=現特別顧問)は、JRの旅客会社トップに、計画停電で大幅減となった旅客列車の運行予定を貨物用に譲ってもらおうと連絡した際、「貨物は使命を負っているからな」と励まされ、「頑張らなければ」との思いを改めて強くしたという。
一方、JR貨物の指令室では室長の安田晴彦さんを中心に貨物列車運行の立て直しが図られていた。計画停電の影響を回避しながら名古屋発北陸線経由、札幌行きの臨時コンテナ列車を16日に走らせる算段を整え、さらに関東発のコンテナ便を調整していたところ、一本の電話が入った。相手は経営層に近い企画部の社員。「東北に石油を運べないかという要請がきているんだが」との内容に、「石油を運ぶ? それはちょっと…」と安田さんは答えに窮した。