
被災地では、ガソリンに限らず重機用の軽油も不足した=2011年3月26日、岩手県陸前高田市【拡大】
■発生10日足らず「鉄道貨物の底力」
石油輸送の機材調達が進む一方で、政府や石油元売りなどはどの油種を運ぶのか議論していた。震災から数日後の深夜、経済産業省資源エネルギー庁には、国土交通省の担当者、石油連盟、石油元売り、日本石油輸送(JOT)幹部らが集められた。
運転士6人リレー
「とにかくガソリンだと思うのですが」。エネ庁の若い担当者が議論の口火を切る。「タンク貨車全部ガソリン? 軽油はどうするんですか。被災地の道路復旧や捜索、がれき除去に使う重機はガソリンじゃ動きませんよ」。国交省側は軽油優先の立場をとる。石油元売りは「現地はまだ寒い。灯油もある程度必要では」。かんかんがくがくの議論が深夜まで続いた。日本石油輸送の石油部長だった原昌一郎さんは、真剣に議論する若い官僚の姿を見て心強く感じたという。
3月18日の初便は、タンク貨車「タキ38000」18両のうち、ガソリンと軽油を9両ずつ運ぶことが決まり、17日にはJXエネルギー(現JXTGエネルギー)根岸製油所で積み込みが始まった。運転士は全部で6人がリレーする。18日午後7時過ぎ、被災地向け臨時石油列車の初便が根岸を発車した。
石油の到着を待つ盛岡貨物ターミナル駅(盛岡タ駅)では18日、北海道と盛岡を結ぶコンテナ貨物列車の運行が再開された。これで食料や毛布などの救援物資が安定して入手できるようになる。当時、JR貨物盛岡総合鉄道部長だった米川隆さんは、北海道便再開のマスコミ対応に追われていた。米川さんのもとには会社の先輩らから「ニュース見たぞ。がんばってるな」と激励の電話が相次いだ。