【遊技産業の視点 Weekly View】負ける経験は人を哲学者にする


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 □翻訳者・哲学講師 勝道興

 サッカーのイタリア代表が2018年ワールドカップ(W杯)ロシア大会の欧州予選で敗退した。地元メディアは「アポカリッセ(世界の終末)」と報じ、この試合を最後に代表を引退するGKブッフォンのインタビューでは、小柳ルミ子氏も涙したらしい。

 スポーツであれゲームであれ、“勝負事”は勝ったときよりも負けたときの方が人を哲学者にする。野村克也氏が引用して有名になった「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(松浦静山)のとおり、負けたときこそ人はその勝負を理性的に分析し、その原因を究明しようとする。今回の場合は、当然のように、監督の作戦やFWの決定力不足に敗因を特定しようとする傾向があるようだ。

 負ける経験は大切である。きっと敗因があり、その究明は当のスポーツやゲームの本質(その遊びの面白さ)を問うことにもなりうるからだ。

 さて、この予選敗退の1週間前に期せずとも、MFピルロが現役引退を公表している。以前のイタリアチームでは彼がレジスタ(イタリア語でregistaは「映画監督」「演出家」を意味する)として、ボールを中盤でコントロールし、その絶妙な個人技がチーム全体の安定感と信頼性のよりどころとなっていたのだが、それが今回の予選での戦いぶりとの見かけ上の大きな違いである。

 敗因を探ってゆくと、つまるところ「個人(技)が先か戦術(効率)が先か」という循環論に陥りそうだが、サッカーの面白さはオフサイドに象徴されるようないわば非効率的なルールに規制される勝負の遅延とそこで醸成されるスペクタクルにあったのではなかったか。

 話がややそれてしまったが、スポーツでもゲームなどの遊びでも多くの場合はそこに“勝ち負け”が存在する。いずれの場合も、「勝つため」に人はそれに興じるのだが、結果、人は勝ちの原因を探るより、負けた原因を探ることに心血を注ぐ。

 冒頭に述べたが、負ける経験は人を哲学者にする。「敗因を探り、次は負けまい」とする鍛錬は、ことさら「遊び」の範疇(はんちゅう)で人生のシミュレーションに重要な役割を果たしていく。

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【プロフィル】勝道興

 かつ・みちおき 産業・技術翻訳者、哲学講師、文学博士。著書「音響のオルガノン」(晃洋書房2001年)、訳書「絵で見る哲学の歴史」(中央公論美術出版2010年)など。和敬由三郎(和敬会会長)に師事して小唄三味線を修行中。