【遊技産業の視点 Weekly View】


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 □ワールド・ワイズ・ジャパン代表LOGOSプロジェクト主幹 濱口理佳

 ■目指すべき大衆娯楽像を自らの手で描く

 遊技業界の組合や団体で行われる行政講話で「ぱちんこは大衆娯楽として~」という表現をよく耳にする。しかし、大衆娯楽とはいかなるものなのか。これについての言及は「より多くの人が手軽で身近に参加できる」というような曖昧なところにとどまる。この具体性に欠ける“大衆娯楽像”を業界関係者はさまざまに想像し、時代・ニーズに呼応したビジネスのかたちを模索することになる。その“大衆娯楽像”そのものが、折々の人々の価値観や社会的背景で左右されるなか、具体的産業ビジョンを描ききれないままに、規制を受け入れ、「自ら描くべき産業像」とは違った、他人が描いた絵をなぞるような行為が繰り返されている。そのような気がしてならない。

 数年前からいわれてきたカジノ実現に伴う遊技業界への影響は、“ギャンブルと娯楽の線引き”をキーワードに懸念されてきた。「ぱちんこは娯楽でありギャンブルではない」という法的解釈のもと、その差別化はなぜか「安く遊べる」ことに特化されることになる。そもそも、ギャンブルと娯楽の違いは金額うんぬん以前に、遊びのプロセスに在る。技術介入もそうだが、機械そのものを見ても、パチンコ機は1分間に100発を超えて発射されない性能が前提となっている。つまり、1玉4円なら、1分間に400円の費用となるが、ここにいわゆるベース(通常時に1分間に100発打ち出して戻ってくる球数)が確保されるため、あっというまに大金を失うことなど不可能な仕組みがそこにある。

 一方、遊びのプロセスを楽しむという解釈を、行政が「時間消費型娯楽であるべき」と決め付けたことで、「仕事帰りにちょっと立ち寄る」という気軽に遊べる環境が後退した背景も指摘される。要するに「大衆娯楽」を“金額”と“時間”という2つの要素で無理やり定義づけようと試みた結果、本来、娯楽として維持されるべき「遊びのプロセス」における魅力がそがれ、より多くの人が参加するための間口が狭められてきた。

 遊技業界は来年2月の規則改正でまた新たなステージへと進むことになる。だがその前に、自分たちが目指すべき大衆娯楽像を、自らの手で描く必要がある。

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【プロフィル】濱口理佳

 はまぐち・りか 関西大学大学院文学研究科哲学専修博士課程前期課程修了。学生時代に朝日新聞でコラムニストデビュー。「インテリジェンスの提供」をコアにワールド・ワイズ・ジャパンを設立。2011年、有志と“LOGOSプロジェクト”を立ち上げた。