常盤座の経営者の長女にあたる小泉初枝(1927年~、旧制大連弥生高女)は大連で困窮生活を送っていた志ん生・円生を自宅に招いて落語をやってもらったことを覚えている。
「昭和21年ごろだったでしょうか。外は危ないし娯楽もないので、各家庭が順番に志ん生さんらを呼んだ。座敷に座布団を敷いただけの“高座”を作りましてね。お礼に食事を差し上げたり、いくらかは包んだようですが、志ん生さんは、お酒のほうがよかったみたい」
常盤座で経営者の長兄を助け、支配人を務めたのが、やはり第1回に登場した小泉吾郎(1908~87年)。大正15(1926)年兄を追って満州に渡り、満映(満州映画協会)や関東州興業宣伝部長として、興行界で活躍。戦後は日本初の「女子プロ野球」を立ち上げる立志伝中の人物だ。小泉兄弟は終戦後、大連に留め置かれた日本人を楽しませるために大奮闘する。それは次回に書きたい。=文中敬称略(喜多由浩)