備後地方では、瀬戸内の気候と風土を背景に、木綿の栽培がさかんに行われてきた。江戸期には藩の奨励もあって、日本有数の木綿の産地となり、昭和に入ってからは世界も注目するデニム生地の産地にもなった。しかし、その技術や素材に比べ、知名度はあまり高くはない。そこで、この素材や技術、文化を世界に知ってもらおうと、「尾道デニムプロジェクト」が活動を開始した。「RE-DESIGN ニッポン」の第13回は、この取り組みについて紹介したい。
備後かすり応用
備後地方の繊維産業の歴史は江戸時代にさかのぼる。木綿は干拓によって生まれた塩分を含む土地でも栽培できること、雨が少なく日照時間が長い気候や肥料となるイワシが沿岸で捕れる環境が木綿作りに適していたのである。備後福山藩主となった水野勝成が奨励して日本有数の木綿産地となり、備後かすりを始めとする生地は作業着などに多く用いられた。
備後かすりは、需要の激減により、生産量は大きく減少したが木綿産地としての技術などは、現代の生活スタイルにおける「作業着」でもある「デニム」の生産へとつながった。同じく備後かすりで用いられてきた藍(あい)染め技術にもたけていたことがジーンズの染色にも応用された。そして、備後地方のデニム生地のうち、最高級品は世界的な有名ブランドにも用いられるようになった。