サイトマップ RSS

【RE-DESIGN ニッポン】「尾道デニム」 人生刻み世界へ (1/3ページ)

2015.5.15 10:30

尾道デニムプロジェクトの中心メンバーである小川香澄さん(奥)と濱野まり子さん(手前)。尾道の街にひかれ、移住した2人の女性がプロジェクトを牽引する=2015年4月29日(北林功さん提供)

尾道デニムプロジェクトの中心メンバーである小川香澄さん(奥)と濱野まり子さん(手前)。尾道の街にひかれ、移住した2人の女性がプロジェクトを牽引する=2015年4月29日(北林功さん提供)【拡大】

  • ONOMICHI_DENIMSHOPに並ぶ尾道デニム。尾道の人たちの人生が刻み込まれたデニムだ=2014年3月22日(北林功さん提供)
  • 270人の尾道の人々が1年間履き込んでデニムをビンテージにしていった。一本一本異なる表情は、一人ひとりの生き方を表している(尾道デニムプロジェクト提供)

 備後地方では、瀬戸内の気候と風土を背景に、木綿の栽培がさかんに行われてきた。江戸期には藩の奨励もあって、日本有数の木綿の産地となり、昭和に入ってからは世界も注目するデニム生地の産地にもなった。しかし、その技術や素材に比べ、知名度はあまり高くはない。そこで、この素材や技術、文化を世界に知ってもらおうと、「尾道デニムプロジェクト」が活動を開始した。「RE-DESIGN ニッポン」の第13回は、この取り組みについて紹介したい。

 備後かすり応用

 備後地方の繊維産業の歴史は江戸時代にさかのぼる。木綿は干拓によって生まれた塩分を含む土地でも栽培できること、雨が少なく日照時間が長い気候や肥料となるイワシが沿岸で捕れる環境が木綿作りに適していたのである。備後福山藩主となった水野勝成が奨励して日本有数の木綿産地となり、備後かすりを始めとする生地は作業着などに多く用いられた。

 備後かすりは、需要の激減により、生産量は大きく減少したが木綿産地としての技術などは、現代の生活スタイルにおける「作業着」でもある「デニム」の生産へとつながった。同じく備後かすりで用いられてきた藍(あい)染め技術にもたけていたことがジーンズの染色にも応用された。そして、備後地方のデニム生地のうち、最高級品は世界的な有名ブランドにも用いられるようになった。

1年間履き込み販売

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。

ページ先頭へ