
香港島のビクトリアピークから見下ろしたビル街(共同)【拡大】
香港は7月1日、英国から中国に返還されて20年を迎える。近年、経済を中心に中国との一体化が進み、反発を強める若者の間に「香港独立」の主張も出現。中国の習近平指導部は締め付けを強化し、香港に高度の自治を保証した「一国二制度」は大きく揺らぐ。かつて「東洋の真珠」とたたえられた輝きは、急速にかすみつつある。
◆若者中心に独立主張
「高度の自治を名分に中央権力に対抗することを許さない」。中国の張徳江全国人民代表大会常務委員長(国会議長)は5月、中国政府には香港政府トップの行政長官への「指令権」があると言及し、政治介入を強める姿勢を鮮明にした。
香港の「中国化」のきっかけは、2003年に大流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)の影響で落ち込んだ香港経済へのてこ入れのため、中国政府が大陸からの個人旅行を解禁したことだ。02年に延べ約683万人だった中国人観光客は、ピークの14年には香港の人口の6倍以上に当たる約4725万人にまで拡大した。
経済回復の恩恵を受けて香港で中国への好感度が高まり、北京五輪が開かれた08年ごろには関係は蜜月に。だが中国人による「爆買い」が粉ミルクなど生活必需品不足を招くなど社会問題化し、中国からの投資による不動産価格の高騰も市民生活を直撃して対中感情は悪化に転じた。14年には大規模な民主化要求デモ「雨傘運動」も起き、若者を中心に中国離れが加速。自らを「中国人」ではなく「香港人」だと自覚する若者らが「香港独立」を唱えるまでになったのだ。