結婚してからは、弁当男子になった。
初めは、質より量だけを重視した。しかし、このごろは塩分に気を付けている。
中学から高校までは、母が毎日弁当を作ってくれた。中学3年間と高校3年間の合計6年間の弁当は、毎日同じおかずでした。
さすがに、飽きた。ハッキリ言って嫌で仕方なかった。でも、母には言えなかった。
たまに、その食材を切らしたときがあった。そんなときには、弁当のおかずが夕食の残り物になっていた。
「残り物で、すまないねえ」と母は申し訳なさそうでした。でも愚息は、いつもと違うおかずに喜んだものでした。
成人してから、母に聞いたことがある。「どうして、毎日同じおかずだったのか」と。
「子供のときに初めて食べて『おいしい。毎日作って』と言ったから」と教えてくれた。
そのような記憶は、まったくない。
6年間もイヤイヤ食べていた弁当に、申し訳ない気持ちになった。海より深い母の愛によって、生きてきたことを初めて知った。
弁当箱に入っているのは、食材だけではない。ごはん以外のもので満たされている、とまで言える。
母の弁当には及ばないが、弁当「老」男子は、今朝も台所に立ち続けます。
富井湧吉(ゆうきち)(61) 大阪府八尾市






























