「ここから描こう」と椅子をとりだしたのは、有名な渡月橋からずいぶん下流の変哲もない土手の上である。目の前に、嵐山中腹に建つ法輪寺の屋根が見えた。
おもしろい偶然があった。かつて司馬遼太郎さんはこの地を歩き「(嵐山に塔か堂があれば、対岸から見る景色はどんなによくなるだろう)と、あるいは空海はおもったかもしれない」(「街道をゆく 嵯峨散歩」より)と想像している。くしくも二十数年後、描いたのもその眺めだった。
(あんの みつまさ=画家、抜粋)
「ここから描こう」と椅子をとりだしたのは、有名な渡月橋からずいぶん下流の変哲もない土手の上である。目の前に、嵐山中腹に建つ法輪寺の屋根が見えた。
おもしろい偶然があった。かつて司馬遼太郎さんはこの地を歩き「(嵐山に塔か堂があれば、対岸から見る景色はどんなによくなるだろう)と、あるいは空海はおもったかもしれない」(「街道をゆく 嵯峨散歩」より)と想像している。くしくも二十数年後、描いたのもその眺めだった。
(あんの みつまさ=画家、抜粋)