中国共産党総書記(国家主席)の習近平の出身校である清華大学や北京大学、中国人民大学といった名門校が集まる北京市海淀(かいでん)区。この夏、異変が起きた。
学習塾がひしめき合い、毎年夏休みになると、名門校を目指す子供たちであふれかえるビルが、今年は閑散としていた。
「この1カ月で教育関係のテナントがほとんど出ていった。国の政策だからね…」。8月末、ビル1階で商店を営む男性は手持ち無沙汰な様子でつぶやいた。
きっかけは7月下旬に党と政府が連名で出した通達だ。塾の新設は許可せず、既存の塾の非営利化を命じる内容だった。有無を言わさぬ通達を受け、大都市を中心に塾の倒産や人員整理の波が広がったのである。
通達の真の狙いは、受験戦争を沈静化させること、ではない。習政権を突き動かしたのは、人口問題だった。経済発展の原動力となってきた人口が減少の危機にあるのだ。14億人を超えた人口は間もなく減少に転じると予想されている。
習政権が、約36年続いた「一人っ子政策」を廃止し2人目の出産を認めたのが5年余り前。しかし出生数は思うように伸びていない。
業を煮やした党は今年5月末、3人目の容認方針を示したが、ネットには怒りの声が並んだ。「2人だって育てられないのに…」「教育費がいくらかかるか分かっているのか!」
競争の激しい中国で大学に入学するには塾通いが必須だ。北京では子供1人の塾・家庭教師代に年10万元(約170万円)をかける家も珍しくない。大卒者の平均初任給が月5440元(約9万2千円=2019年の民間調査)にすぎない時代に、である。
こうした批判に応える形で習政権が打ち出したのが塾規制だったのだ。
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中国の人口の動向は、共産党の指導に左右されてきた。1949年の中華人民共和国成立後、建国の父である毛沢東は「人口が多いことは最高に良いことだ」と唱え、政府は出産を奨励する施策をとり人口は右肩上がりで拡大していく。
危機感を覚えたのが北京大学学長だった馬寅初(ば・いんしょ)で、57年、人口抑制の必要性を実証的に説く『新人口論』を発表した。だが、馬は〝右派分子〟として厳しい批判にさらされ、その後は過剰な人口増加を論じること自体がタブー視された。
皮肉にも、毛沢東が主導した大躍進政策の下、無謀な大増産計画が推し進められて農村が荒廃、数千万人の餓死者を出した。60年と61年は2年連続で人口が減少したが、それ以降は再び増加に転じた。
66~76年の文化大革命で中国経済が大混乱に陥ると、極端な人口増加による食糧難が再び懸念され、79年に一人っ子政策が導入されたのである。
習近平政権は今、一人っ子政策の副作用である少子化に歯止めをかけようと、家計を苦しめる塾の負担を減らすため教育業界への統制を強めている。しかし、習の教育への介入はそれだけにとどまらなかった。
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教育省は今年8月下旬、小学校から大学院までの教材に「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」を全面的に盛り込む指針を発表した。
習思想とは、党規約や憲法に明記された習の政治理念のことで、強軍の必要性を説き、台湾統一や南シナ海などへの海洋進出を正当化するものだ。
「習近平おじいさんが言ったように、『愛国はこの世で最も奥深く永続する感情』なんだよ」
小学校用の教科書には習の言葉や写真が並ぶ。子供の段階から習政権の方針に従った思想教育、愛党・愛国教育を徹底させる狙いがあるのは明らかだ。
来秋の党大会で3期目の総書記を目指す習の権威を強化する思惑もちらつく。
文革につながった毛沢東の個人崇拝の再来を懸念する声も上がる中、中国のベテラン記者は「昔のような〝きな臭さ〟を感じる」と警戒を隠さない。
教育負担の軽減を目指す党・政府の方針を受けて、上海市では9月の新学期から、小学生の英語テストを廃止した。その一方で習思想が必修科目となった。
英単語よりも、「毛沢東語録」ならぬ「習近平語録」を暗記する子供たちが現れるのも、時間の問題かもしれない。米中対立の長期化が見込まれる今の時代を象徴している。
前回の党大会で習が「総合的な国力と国際影響力において世界の先頭に立つ国家になる」と宣言した2050年まで30年足らず。その頃の中国はどんな若者が育っているのだろうか。
(敬称略)































