信仰心ではない? 江戸時代の男たちが熱心に寺社参詣した“意外な理由”

    遊女を抱えた飯盛旅籠は参詣客で大繁盛

    幕府は吉原など特別に認めた場所以外での遊女商売を禁じており、旅籠屋での遊女商売は本来認められないはずであった。

    しかし、旅人に給仕する女性を飯盛女という名目で置くことは容認していたのである。

    見て見ぬふりをしたのだ。ほぼ黙認されており、江戸っ子が寺社参詣にかこつけて宿場町で精進落としができたのも、旅籠屋が飯盛女を抱えていたからに他ならない。

    幕府は旅籠屋一軒につき飯盛女は二名が上限と定めていたものの、上限を超えた旅籠屋は珍しくなかった。

    といっても、旅籠屋に必ず飯盛女が置かれたわけではない。置かない旅籠屋(平(ひら)旅籠という)もあったが、多くは飯盛女を抱えることで大いに繁昌した。宿場の繁栄にもつながっていたことも事実である。

    宿場全体の運営は、その主役たる旅籠屋や茶屋から徴収する「役銭(やくせん)」で支えられた。いわば営業税のようなもので、なかでも飯盛女を抱える旅籠屋が納める役銭は多額だった。それだけ利益を上げていたが、飯盛女の揚げ代が原資なのであった。

    なお、宿場で遊女商売を営んだのは旅籠屋だけではなかった。茶屋も給仕する女性を遊女として密かに働かせていた。飯盛女とともに宿場を陰で支える存在だった。

    船橋宿の飯盛旅籠では飯盛女(遊女)が盛んに旅人の袖を引いたが、その遊女は「八兵衛」と呼ばれたという。旅籠屋のうち飯盛旅籠が半数以上を占めた藤沢宿でも同じような光景が繰り広げられていた。(歴史家 安藤 優一郎)

    安藤 優一郎(あんどう・ゆういちろう) 歴史家。1965年千葉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学院文学研究科博士後期課程満期退学。文学博士。JR東日本「大人の休日倶楽部」など生涯学習講座の講師を務める。主な著書に『明治維新隠された真実』『河井継之助近代日本を先取りした改革者』『お殿様の定年後』(以上、日本経済新聞出版)、『幕末の志士 渋沢栄一』(MdN新書)、『渋沢栄一と勝海舟幕末・明治がわかる! 慶喜をめぐる二人の暗闘』(朝日新書)、『越前福井藩主 松平春嶽』(平凡社新書)などがある。


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