昭和初期の江崎グリコ大阪工場。昭和20年には空襲で全焼した(江崎グリコ提供)【拡大】
出張を特別許可
そんな社歌は一体、どんなものだろう。聴かせてもらうと、「♪ああ曙の東海に 紫(く)雲(も)輝きて旭(ひ)は出でぬ」…と、行進曲っぽいメロディーに、時代背景を感じさせる歌詞。サビは「今ぞ希望の旗高く」「征(ゆ)くか理想の我がグリコ」と、実に勇ましい。
社歌の作詞・作曲を手掛けたのは、社員の神代忠勝さん。グリコが運営していた「グリコ青年学校」の専任教師兼寄宿舎監督で、入社した昭和13年当時の社内報「グリコ新聞」では、「テニス良し、ピンポン良し、碁良し、音楽は殆(ほとん)ど天才といわれる八方万能の士」と紹介されている。
入社後すぐに作った「社長の誕生を祝う歌」が好評で、創業者の江崎利一社長(当時、佐賀県出身)が直々に制作者に指名。注文は「勇ましいのがよか。堂々として、グリコの意気を示すものを」で、当時珍しかった出張も特別に許可。神代さんは伊勢神宮に詣でて2、3泊し、「イメージを膨らませて大阪に戻った」という。
この勇ましさはなぜだろう。「当時は戦前の売り上げ最高期で、後発の菓子メーカーとしては『追いつけ、追い越せ』ムードだった時代です。そんな勢いを盛り上げようとしたのでは」と、植木さんは推察する。