【1000万台の先へ】豊田英二の遺訓(下)
「三度の飯より工場回りが好きだった」
金のしゃちほこで有名な名古屋城。そのそばに建つ老舗ホテル、ウェスティンナゴヤキャッスル(名古屋市西区)で25日、経済、政界関係者らが20世紀における自動車産業の主役の一人に最後の別れを告げた。
トヨタ自動車最高顧問だった豊田英二氏の「お別れの会」。張富士夫名誉会長は「『原点』ということを、いつもきちんとやった人だった」と振り返る。
英二氏の原点とは、ものづくりの現場にほかならない。「無口で近寄り難いほど怖かった」(トヨタOB)という英二氏が子供のように目をキラキラとさせる空間がある。
鋳物やエンジンなどをつくり、自動車を組み立てる工場だ。社長に就いてからも時間があれば、作業服に着替えて愛知県豊田市の各工場を見て回るほどで、豊田章一郎名誉会長は「三度の飯よりも工場回りが好きだった」と明かす。